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ハイドゥの乱

14世紀の初めモンゴル帝国で起こった内乱。オゴダイの孫のハイドゥがフビライに反旗を翻した。ハイドゥの死後の1305年に反乱軍は鎮圧された。

 1300~1305年、の大ハンに対して中央アジアを拠点とする一族のハイドゥが起こした反乱。モンゴル帝国の中で元は正式には大元ウルスといわれ、いわばその本家の位置をしめていたが、各地のモンゴル部族の中にはそれに反発するものもあった。そこで起こったのがこの反乱であり、ユーラシアにおけるモンゴル勢力を二分する大きな内乱となったが、元が勝利してその支配を安定させた。

反乱の経緯と結果

 ハイドゥは第2代ハンのオゴタイ=ハンの孫。カイドゥ、あるいはハイズとも表記。第4代モンケ=ハン以来、オゴタイ家は不遇だったので、不満を強くし、1269年頃からはフビライ=ハンに反旗を翻し、1280年頃には中央アジアのマー=ワラー=アンナフルに独立政権をつくった。1294年フビライ=ハンの死去後、1300年から翌年にかけて、大軍を率いモンゴル高原に侵攻し、元の第6代ハンのテムル(成宗)と戦ったがたが敗れてまもなく死去した。これがハイドゥの乱で、1305年にハイドゥの子のチャパルとドワが元に降伏して終結した。中央アジアはチャガタイ家の支配が復活してチャガタイ=ハン国として安定し、西のキプチャク=ハン国イル=ハン国とならび、モンゴル高原と中国本土を支配する元帝国を宗主国とした「タタールの平和」が実現した。 
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ノートの参照
第6章3節 ア.モンゴルの大帝国