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ザンギー/ザンギー朝

セルジューク朝の衰退に乗じて1127年に自立したイスラーム政権。十字軍に対する本格的な反撃を開始した。その部将サラディンが自立してアイユーブ朝を建て、1222年にザンギー朝を滅ぼす。

 イスラーム世界が十字軍の侵攻と戦っていた時代の1127年、セルジューク朝の部将の一人であったイマードゥッディーン=ザンギーが現在のイラク北部(ジャジーラ)のモスルで自立して建てたイスラーム政権。ザンギーはセルジューク朝のマムルーク出身でアタベク(君主の子弟の養育係)として実権を持ち、セルジューク朝に変わって十字軍との戦いの先頭に立つこととなった。それまで守勢に回っていたイスラーム側の十字軍との戦いで、初めて攻勢に転じ、1144年に十字軍国家の一つエデッサ伯国を滅ぼした。これに対してキリスト教世界のフランス王ルイ7世、ドイツ王コンラート3世らが中心となって第2回十字軍を起こしたが、ダマスクス攻防戦でザンギー朝に敗れ、失敗した。このように、ザンギーは初めて十字軍に全面勝利したイスラーム側の指導者であった。

ザンギー朝のシリア統一

 ザンギーの死後は、第2子ヌールウッディーンが出てアレッポを拠点にイスラーム勢力の統合に努めた。エデッサ伯国の滅亡に反撃するために、1148年に第2回十字軍が起こされたが、ダマスクスを包囲攻撃したが落とすことができず、撤退した。1154年、ヌールッディーンがダマスクスに入り、ザンギー朝によるシリア統一が完成した。こうしてダマスクスを中心としたシリア統一が成されることとなった。

エジプトを巡る混乱

 ザンギー朝の急成長に対し、エジプトのファーティマ朝はバグダードやビザンツ帝国と結んでそれに対抗しようとした。そのため、ヌールッディーンはエジプトを制圧するために、まず部将のシールクーフを派遣した。シールクーフはエジプトの制圧に成功してファーティマ朝の宰相となったが、急死し、供に派遣されていた甥のサラーフ=アッディーンがその後を継いだ。彼は次第にファーティマ朝の実権を握り、シリアのザンギー朝を無視し、1171年にはファーティマ朝のカリフの廃絶を宣言して自らアイユーブ朝を建てた。さらに1174年にザンギー朝のヌールアッディーンが死去するとサラーフ=アッディーンは攻勢に出てダマスクスを占領し、アイユーブ朝がエジプトとシリアを統合して支配することとなった。
 ザンギー朝は1222年、滅亡した。ザンギー朝は短命であったが、十字軍に対する決定的な優勢を実現したサラディンの登場をもたらした点で重要である。

Episode イスラームで始まった伝書鳩

 ザンギーは十字軍との戦いで、味方の情報伝達手段として伝書鳩を使っていた。ザンギーだけでなくイスラーム世界では伝書鳩がすでに用いられていた。十字軍側もそれを知って鳩を飼うことを覚え、ヨーロッパにもたらした。
(引用)彼ら(アラブ)は町と町の連絡に、何世紀も前から伝書鳩を利用していた。野戦を行う部隊はみな、いくつかの町や要塞に属する鳩を連れている。もとの巣に間違いなく帰るように仕込まれているから、一本の脚に通信文を巻き付けた上で放しさえすれば、どんな早馬よりも速く、勝敗のゆくえや領主の戦死などを告げ、あるいは援軍を求めたり、包囲された町野守備隊を勇気づける。こうして、フランク(十字軍)に対する動員が進むにつれて、ダマスカス、カイロ、アレッポその他の都市の間に伝書鳩の定期便が設けられるようになり、国は鳩の飼育係に俸給さえ与えた。<アミン・マアルーフ『アラブの見た十字軍』リブロポート p.190>
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ノートの参照
第5章2節 ア.東方イスラーム世界
書籍案内

アミン・マアルーフ
/牟田口義郎・新川雅子訳
『アラブが見た十字軍』
ちくま学芸文庫