印刷 | 通常画面に戻る |

ダマスクス

シリアの中心都市で古代のアラム人の交易都市として始まり、イスラーム勢力支配後はウマイヤ朝の都となる。

 シリアの中心都市。前10世紀、アラム人の国の都として建設され、その後も西アジア交易の中心地として栄える。前732年にはアッシリアに征服される。その後、ペルシア帝国、アレクサンドロス帝国、セレウコス朝、ローマ帝国、ササン朝ペルシアの支配を受けた。

ウマイヤ朝の都ダマスクス

 7世紀の初めにアラブ人の勢力が及び、ササン朝ペルシア滅亡後は、ウマイヤ家のムアーウイヤがシリア総督として635年ダマスクスに入り、統治していた。660年、ムアーウイアがウマイヤ朝を創始すると、その首都となって繁栄した。ウマイヤ朝滅亡もイスラーム世界の重要な都市として存続し、11世紀にはセルジューク朝に支配された。

ウマイヤ=モスク

 ダマスクスにはローマ時代からの遺跡が多いが、中心にあるのは、ウマイヤ朝のカリフが建設した、ウマイヤ=モスク。高さ20m、東西157m、南北100mの巨大なモスクである。現在見ることができるモスクは11世紀にセルジューク朝によって建造され、火災にあった後に20世紀に再建されたもの。

ザンギー朝とアイユーブ朝

 十字軍の侵攻が続く中、12世紀中ごろ、セルジューク朝の衰退に変わって、トルコ系スンナ派のザンギー朝が、ヌールッディーンの時にダマスクスに無血入城し、シリアを統一した。ザンギー朝は1144年に十字軍国家の一つのエデッサ伯領を滅ぼし、さらに第2回十字軍を撃退した。サンギー朝の部将であったクルド人サラーフ=アッディーン(サラディン)がカイロで自立しアイユーブ朝を建て、ついでダマスクスを占領してサンギー朝を倒し、シリア・エジプトにまたがる支配を樹立した。

モンゴルとティムール

 13世紀の中ごろモンゴル帝国のフラグが西アジアに遠征、ダマスクスも占領されたが、1260年のアインジャールートの戦いでマムルーク朝のバイバルスがモンゴル軍を破り、ダマスクスもマムルーク朝の領土となる。
 マムルーク朝時代の1401年には、中央アジアから急膨張したティムールが侵攻し、一時占領され、大々的な破壊を蒙った。

オスマン帝国領になるまで

 マムルーク朝は1517年にオスマン帝国に滅ぼされ、それ以後、ダマスクスはその支配下の一都市として続く。

近代のダマスクス

 近代ではオスマン帝国の支配が続き、第1次世界大戦中の1918年にメッカの太守ハーシム家のフセインがイギリスの支援でダマスクスに入り、ヒジャーズ王国の建国を宣言した。しかし、戦後はフランスの委任統治領シリアとなり、フセインの子のファイサルはシリア王国の独立を宣言したがフランスに排除された。1943年に独立した現在のシリア=アラブ共和国の首都であり、西アジアの政治、文化の中心地の一つである。