印刷 | 通常画面に戻る |

バフマン朝/バフマニー王国

14世紀に成立したインド・デカン高原のイスラーム政権。トゥグルク朝の部将が自立して建国。デカン高原南部のヒンドゥー教国ヴィジャヤナガル王国と抗争した。

 インドのイスラーム化が進んだ14世紀に、デカン高原北部に成立したイスラーム教国の一つ。1347年、デリー=スルタン朝の3番目のトゥグルク朝の部将であったバフマーニーが、グルバルガを都として建国した。その南に隣接するヒンドゥー教国ヴィジャヤナガル王国と抗争を繰り返し、一時は優勢を誇った。15世紀後半には有能なイラン人宰相マフムード=ガーワーンのもとで西海岸のゴアを勢力下に収めた。

シーア派とスンナ派の抗争で衰退

 しかし、バフマン朝は創始者バフマーニーがイランの英雄バフマンの子孫と称し、イスラーム教徒ではあったがシーア派の立場をとっていた。そのため宮廷内にはイラン出身者が多く、土着のスンナ派のムスリムとは相容れないものがあった。次第に両派の争いは激化し、1481年には宰相マフムード=ガーワーンが暗殺され、急速に衰退することとなった。それでも16世紀までは存続していたが、1527年まで王国は5つの小国に分裂してしまった。
 16世紀のデカン高原のイスラーム教王国5国とは、ビーシャプル王国・ゴールコンダ王国・ベラール王国・アフマドナガル王国・ビーダル王国であるが、そのうちのビーシャプル王国とゴールコンダ王国は南のヒンドゥー教国のヴィジャヤナガル王国との抗争を継続した。1510年、ビーシャプル王国はゴアの支配権をポルトガルアルブケルケに奪われてしまった。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
4章3節 ア.イスラーム勢力の進出とインド