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カネム=ボルヌー王国

アフリカ中央部にあった黒人王国でイスラーム教国。奴隷貿易で繁栄

アフリカの中央部、チャド湖周辺に9世紀から19世紀末まで存在した黒人国家で、11世紀からはイスラーム教を受容し、ムスリム商人とアフリカ内陸の交易で繁栄した。チャド湖はサハラ砂漠の南の淵にある大きな湖で、かつてはこの付近の中央アフリカをスーダンといった。14世紀後半までのカネム王国と、それ以後のボルヌー王国を併せてカネム=ボルヌー王国という。はじめはサハラ北部のトリポリなどのイスラーム圏の交易にあたっていた。16世紀後半には全盛期となり、周辺に衛星国を多数持ち、カネム=ボルヌー帝国とも言われるような大勢力であった。その頃、北アフリカにオスマン帝国が進出し、カネム=ボルヌー王国もそれに対抗してオスマン式の騎馬部隊や鉄砲を装備した。しかし、次第にオスマン帝国の圧力が増大したので、モロッコのサード朝マンスール王をカリフと認めて臣従するようになった。その後盛衰をくり返しながら、1893年まで存続した。現在は王国の領土はチャド、ニジェール、ナイジェリア、カメルーンに分割されている。

カネム=ボルヌー王国の奴隷狩り

(引用)「金を産出しない中央スーダンでは、奴隷はもともと第一の交易品目であり、その中心はカネム・ボルヌ帝国であった。カネム・ボルヌ帝国の奴隷狩りの対象となったその南部地域にあたる現在の北カメルーンやチャドには、歯を尖らせたり、唇に巨大な円盤を入れたりして身体を著しく変形させている人々が多く分布していたが、それは奴隷狩りを避けるためだったとさえいう。ムスリムはこうした人々は、「食人種」と見なして奴隷化しないからである。それほどカネム・ボルヌ帝国は奴隷狩りを盛んに行ったらしく、サハラの奴隷交易に関する史料もカネム・ボルヌ帝国関係に集中している。さらに17世紀以後、これにハウサ諸王国が加わり、中央スーダンにおける奴隷交易はいっそう盛んになった。」<宮本正興・松田素二編『新書アフリカ史』講談社現代新書 1997 p.201>
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ノートの参照
第5章3節 ウ.アフリカのイスラーム化
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宮本正興・松田素二編
『新書アフリカ史』
講談社現代新書 1997