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イブン=シーナー/アヴィケンナ

イスラーム文明を代表する医学者。10世紀末、ブハラに生まれ、11世紀前半、カラ=ハン朝、ブワイフ朝で活躍。西洋ではアヴィケンナとして知られ、その主著『医学典範』は西洋医学にも大きく影響した。

 10~11世紀のイスラーム世界を代表する医学者であり、哲学者。イラン人であるが、ラテン名のアヴィケンナの名でヨーロッパにも知られている。イブン=スィーナとも表記する。
 980年、中央アジアのサーマーン朝が治めるブハラ近郊で生まれ、はじめアリストテレスの哲学を学び、16歳から医学の道に入った。999年サーマーン朝がカラ=ハン朝に滅ぼされ、またまもなくガズナ朝が侵攻してくるなどの混乱の中でブハラを離れ、のち中央アジアから西アジアの各地を放浪する。ホラズムを経てイランに移り、ブワイフ朝に仕え大臣を務めたりした。その間、古来のアラビア医学にギリシアやインドの医学知識を加えて、大著『医学典範』を著した。これは後にヨーロッパに伝えられ、長く医学の教科書としても用いられた。また医学だけでなく、哲学、数学などの著作もあり、詩の作品の残されている。1037年、イランのハマダーン(かつてのメディア王国の都、エクバタナ)で死去した。現在、ハマダーンにその墓塔がある。

Episode 15歳でアリストテレス『形而上学』に取り組む

 15歳のイブン=シーナーは独学でアリストテレスの『形而上学』にとりくんだ。彼は40回読み返し、ほとんど暗記してしまった。しかしそれでも理解できなかった。絶望して「この本を理解する手だてはない」と自分自身に言ってあきらめかけた。そんなとき、ブハラのバザール(市場)で一人の商人に一冊の本を買わないかとすすめられた。買ってみるとそれは『形而上学』の注釈書だった。家に帰って急いで読んでみると、それまで難解で判らなかったところが理解できるようになった。うれしくなって翌日、神に祈り、貧しい人々に多くの施しをしたという。<加藤九祚『中央アジア歴史群像』岩波新書による>

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書籍案内

加藤九祚
『中央アジア歴史群像』
1995 岩波新書