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アレクサンドル=ネフスキー

スウェーデンの攻撃からロシアを守ったノヴゴロド公。キプチャク=ハン国には服従する。

モンゴルのバトゥの遠征軍がまだロシアから立ち去っていない1240年、ノヴゴロド公アレクサンドルは、ネヴァ河畔でスウェーデン軍に打ち勝った。そのため、「ネヴァの」という意味の「ネフスキー」と呼ばれるようになった。このアレクサンドル=ネフスキーは、1242年にはドイツ騎士団を有名な氷上の戦いで撃退した。この時期はモンゴル軍のバトゥがが「ロシア・東欧」を荒らし回っていたはずの時期である。アレクサンドル=ネフスキーの存在と活動は、モンゴルの侵入によってロシアが壊滅したわけではないことを示している。むしろ、「タタールのくびき」はアレクサンドル=ネフスキーから始まった。彼は、新たなロシアの権力者となるため、モンゴル人のキプチャク=ハン国に進んで臣従し、自分の兄弟も含め、反モンゴル活動を弾圧した。1252年にはモンゴルの力で、東方正教会、いわゆるロシア正教の主教座のあるウラディミール大公となる。大公位は、ロシア諸公国の指導者を意味した。このアレクサンドル=ネフスキーの子がモスクワ公となり、モスクワ大公国に発展する。<杉山正明『モンゴル帝国の興亡』上 講談社現代新書 p.83 などによる>

Episode 救国の英雄アレクサンドル=ネフスキー

 アレクサンドル=ネフスキーはロシア民族を救った救国の英雄とされている。しかしそれは、モンゴル軍からロシアを救ったのではなく、スウェーデンとドイツとの戦いで勝ったからである。ナチス=ドイツとの戦争が迫ると、スターリンは民族意識を高揚させるため、アレクサンドル=ネフスキーを古代の英雄アレクサンドロス大王にも匹敵するような人物として映画を作らせた。それを監督したのがエイゼンシュテインであった。また作曲家プロコフィエフも曲を作っている。
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ノートの参照
第6章2節 ウ.スラヴ人と周辺諸民族の自立
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セルゲイ・エイゼンシュテイン監督『アレクサンドル=ネフスキー』