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スウェーデン

北欧諸国の一つでスカンジナヴィア半島東側にノルマン人が建設した国。14世紀にカルマル同盟に属した後、16世紀に独立、17世紀に全盛期となってバルト海全域を支配した。18世紀にロシアとの北方戦争に敗れて領土を縮小、19世紀初めにはナポレオン戦争に敗れて大国の地位を退き、中立政策を採るようになった。

 ヴァイキングとして知られたノルマン人がキリスト教を受け入れて10世紀頃までにスウェーデン国家を建設。北欧諸国の一つとなった。14世紀にはカルマル同盟に属し、デンマーク・ノルウェーと同君連合となり、事実上デンマークの支配を受ける。16世紀にバーサ朝が成立して独立、プロテスタント国となり、フィンランドを領有する。17世紀に国王グスタフ=アドルフが出て強国となり、三十年戦争に介入してウェストファリア条約でバルト海全域の支配する大国の地位を得る。しかし、18世紀には東方に成長したロシアと北方戦争を戦い、敗れて領土を失う。19世紀のスウェーデンは、ナポレオン戦争の時期にロシアと戦ってフィンランドを失う。ナポレオンの部将であったベルナドッテ将軍を国王後継者として迎えるも、ナポレオン戦争後はイギリス、プロイセン、ロシアなどのヨーロッパの列強に対して中立政策を採るようになる。
 → (1)スウェーデンの建国 (2)バルト帝国に発展 (3)北方戦争とナポレオン戦争 (4)20世紀のスウェーデン

スウェーデン (1)建国

スカンディナヴィア東部に10世紀頃、ノルマン人がスウェーデンを建国。キリスト教を受容し、14世紀末にはカルマル同盟に加わり実質的にデンマークに支配されたが、16世紀に独立した。

 10世紀頃、スカンディナビア半島東側のノルマン人が、国家を形成、11世紀ごろにはキリスト教を受容し、12世紀には東方に進出、フィン人の居住地フィンランド地方を併合した。
 13世紀には法整備が進み、首都ストックホルムも建設された。しかし、14世紀には黒死病の流行が北欧三国に及び、そのために生産力が減少し、王権をめぐっても争いが生じ、貴族の対立も加わり混乱が続いた。

カルマル同盟とスウェーデン

 そのような中でデンマークマルグレーテの主導のもとで1397年に形成されたカルマル同盟に加わり、実質的なデンマークの支配を受けることになった。

独立とパーサ王朝

 15世紀に入り、次第にカルマル同盟からの分離独立を要求するようになったが、本国デンマーク側の軍隊によって抑えられた。独立の願いを実現したのは1523年のグスタフ=バーサの反乱からだった。農民を組織し、巧みな戦術で独立を達成したグスタフ=バーサは同年、国王に推戴され、バーサ王朝が成立した。そのもとで17世紀の国王グスタフ=アドルフの時代にはバルト帝国といわれる全盛期を迎えた。

Episode バーサ・ロッペット

 1523年冬、スウェーデンのデンマークからの独立運動を起こすとしたグスタフ=バーサは、モーラの農民たちに決起を促したが、衆議が一決しない。絶望したバーサはがノルウェーへの亡命に向かった。ようやく決起を決議した農民は急ぎ2人の使者をスキーで追わせた。使者がバーサに追いつくまでスキーで走った距離が約82キロだった。これを記念して1922年から始まったのがスキー大会がバーサ・ロッペット(競走)で、毎年3月初旬の日曜日、モーラとセーレン間の約82キロで行われている。外国からの参加者もあり、一大行事となっている。今までの記録は4時間45分だそうだ。旭川ではそのまま借りてバーサスキー大会が催されている。<武田龍夫『物語北欧の歴史』1993 中公新書 p.35>

スウェーデン (2)バルト帝国に発展

17世紀のグスタフ=アドルフの時代に全盛期となってバルト帝国と言われ、三十年戦争には新教側の中心として介入した。

 16世紀にドイツで宗教改革が始まると、キリスト教新教(プロテスタント)のルター派が北ドイツから北欧諸国に信者を増やした。スウェーデンも、ルター派の新教を保護する国家となった。
 バーサ王朝のもとでスウェーデンはバルト海の覇権をめぐってロシア、ポーランド、デンマークと争うようになった。ロシアのイヴァン4世とは、ポーランドと結んでリヴォニア戦争(1558~1583)を戦い、そのバルト海進出を阻止した。それは、ロシアのギリシア正教に対するスウェーデンのプロテスタントという宗教戦争でもあった。またカトリック国であるポーランドとの関係も良好ではなかった。ころからスウェーデンは鉄と銅の輸出で国力を充実させ、軍備を整え、17世紀前半にはグスタフ=アドルフ王のもと絶対王政を作り上げ、北欧の強国に成長していた。

三十年戦争とスウェーデン

 1618年にドイツで三十年戦争が始まり、戦争が長期化して新教側が押されてくると、カトリック勢力のドイツ皇帝(ハプスブルク家神聖ローマ皇帝)によるドイツ支配と、同じカトリック国のポーランドが結び、バルト海でのスウェーデンの優位が崩れる恐れが出るので、グスタフ=アドルフは新教側の救援を決意し、1630年に介入しドイツに侵攻した。各地で奮戦したが、グスタフ=アドルフは1632年のリュッツェンの戦いで戦死。スウェーデン軍はドイツ国内に力を温存させた。1648年のウェストファリア条約ではポンメルンなど北ドイツに領土認められた。こうして、三十年戦争後は、スウェーデンは「バルト帝国」といわれるヨーロッパの強国となった。

バルト帝国 17世紀後半

 名君といわれたグスタフ=アドルフの死後は娘クリスチーナが宰相オクセンシェルナの補佐で政治を執った。この間、ポーランド王国に侵攻するなどバルト海沿岸を制圧し、バルト帝国と言われる繁栄期を迎えた。

新教国のカトリック女王 クリスチーナ

 17世紀後半のスウェーデンの女王クリスチーナは、文化人としても知られ、デカルトとも親交があった。グスタフ=アドルフの娘でスウェーデン王となった彼女は、名宰相といわれたオクセンシェルナを次第に遠ざけていく。
(引用)しかも彼女は財政にほとんど無関心だった。例えば彼女は貴族の数を倍にした。このため国土の三分の二が貴族たちの手に移った。農民はその貴族に対する重税の負担に喘がねばならなかった。・・・国民の不平不満は高まった。こうしたなかで彼女は華やかな宮廷生活を送った。彼女は才女だった。ラテン語、フランス語、オランダ語などを話し、デカルトを始めとしてフランス、オランダの文化人をサロンに集めた。・・・<武田龍夫『物語北欧の歴史』1993 中公新書 p.53>
 彼女は生涯結婚せず、「理由は言えない」と言い続け、従兄弟のカール=グスタフを後継者に指名し退位した。退位の理由は彼女がカトリック信仰を強く持っていたためだろうとされている。彼女は退位後ローマに向かい、インスブルックでカトリックに帰依してローマで死んだ。・・・
 詳しくは、下村寅太郎『スウェーデン女王クリスチナ バロック精神史の一肖像』1977 中公文庫に収録(1991) を参照。クリスチーナの墓碑はローマのサンピエトロ聖堂内に、ミケランジェロのピエタ像の隣に置かれている。

スウェーデン (3)北方戦争とナポレオン戦争

18世紀初頭、北方戦争でロシアに敗れるも19世紀まで北欧の大国として続く。

 17世紀のスウェーデン(2)には国王にグスタフ=アドルフが出て中央集権化を達成し、三十年戦争に参画してバルト海全域を支配する大国となった。

カール12世と北方戦争

 しかし、18世紀初めにロシア(ロマノフ朝)が台頭、ピョートル1世がバルト海方面に進出してくると、カール12世はそれを迎え撃ち北方戦争となった。カール12世はロシアに深く侵攻して戦ったが敗れ、スウェーデンは急速に大国の地位から後退することとなる。かわってロシアが「バルト海の覇者」として東ヨーロッパの大国として有力となっていく。

Episode じゃがいも戦争

 スウェーデンは、1756~63年の七年戦争ではフランス側に立ってプロイセンと戦った。得るところはなかったが、このとき兵士たちがジャガイモを持ち帰り(このためこの戦争はじゃがいも(馬鈴薯)戦争とも言われた)、その栽培が始まった。ジャガイモは北欧の風土に合ったため、瞬く間に広がり、スウェーデンの主食は現在はジャガイモになっている。

Episode 国王の仮面舞踏会殺人事件

 1771年即位したグスタフ3世は王権強化を図ると共に文化の保護にもあたり、人気の高い王であったが、1792年の仮面舞踏会で近衛士官に銃撃されたのがもとで死ぬという事件が起こった。

ナポレオン戦争

 18世紀末に始まったナポレオン戦争ではイギリスと結び大陸封鎖令に従わなかったので、フランスに従ったロシアとの間で戦争となり、大敗してフィンランドを失った。
 1810年、バーサ王朝のカール13世に継嗣がないため、議会はナポレオンの将軍ベルナドッテを皇太子として迎えることに決定した。ところがベルナドッテ王は国益を守るためナポレオンと対立するに至り、1813年の諸国民戦争(ライプツィヒの戦い)に参加し、ナポレオン軍を破った。その結果、1814年にはデンマークからキール条約でノルウェーを獲得した。ノルウェーは反発して独立を宣言したが、スウェーデンは軍隊を送って鎮圧し、一定の自治を認めた上でスウェーデン王を国王とする同君連合とした。

ベルナドッテ朝の発足

 1818年にはベルナドッテが国王(カール14世)としてベルナドッテ朝(現在のスウェーデン王室)を開くこととなった。スウェーデンでは身分制議会が続いていたが、1866年に二院制の議会制をとることとなり、近代化に進み始めた。ダイナマイトを発明し、実業者として成功し、後にノーベル賞を創始するノーベルが活躍したのがこの時代である。

スウェーデン(4) 20世紀のスウェーデン

第一次、第二次世界大戦でいずれも厳正な中立を守り戦争に加わらなかった。社会民主主義の政策を継続し、高度な社会福祉国家を建設した。外交ではEUには加盟したが、ユーロは使用せず、安全保障ではNATOには参加していない。

 スウェーデンはスカンジナヴィア半島東側に広がる北欧諸国の一つ。立憲君主国でプロテスタント(ルター派)を国教とする。首都はストックホルム。面積は日本の約1.2倍だが、人口は約900万。産業は鉄鉱石、木材などの資源の輸出が中心だったが、最近は自動車や通信機器などの工業生産が多くなっている。

中立政策を守る

 第一次世界大戦でも中立を守り、戦後のナチスドイツの台頭に対しては積極的な軍備増強による防衛にあたった。1940年には厳正な武装中立を声明、大戦中はドイツ、イギリス双方から協力要請の圧力がかかったが、中立政策を維持した。

第二次世界大戦後のスウェーデン

 第二次世界大戦後も基本的に中立政策を維持し、NATOにも加盟していない。国連事務総長でコンゴ動乱で遭難したハマーショルドはスウェーデンの人。戦前から戦後に架けて内閣は社会民主主義を掲げる社民党がほぼ一貫して担当し、高度な社会福祉国家を維持している。
 70~80年代のパルメ首相は安全保障、核兵器廃絶などの国連活動でも大きな役割を果たし(パルメ委員会)たが、86年2月に暗殺されるという事件が起こった。

EUには加盟したが、ユーロは導入せず

 1995年にはヨーロッパ連合(EU)に加盟した。しかし、EU共通通貨のユーロについては2003年の国民投票で使用を否決し、現在も独自の通貨クローナを使用している。

文化

 鉄鉱石と森林という豊かな資源を背景に工業が早くから進み、文化的なレベルも高い。文学では19世紀にストリンドベルイ(『令嬢ジュリー』など)、ラーゲルレーフ(『ニルスの冒険』など)がいる。科学ではアルフレッド=ノーベル(1833~96)が有名。ダイナマイトなど多数の特許で富を築き、1896年にノーベル賞を創設した。
スウェーデン国旗

Episode スウェーデンの国旗

 グスタフ=バーサの指導で独立したスウェーデンは、バルト海の支配権をめぐってデンマークとその後も争った(1563~70年、北欧七年戦争)。バーサの次のエリク王の時、バーサの築いた艦隊を強化し、フィンランド系のクラウス・ホルン提督の指揮で、バルト海でデンマーク海軍を破った。そのとき掲げられた艦隊旗はスウェーデン国旗とされた。水色は湖とバルト海、十字はキリスト教国の意味、黄色は太陽である。北欧の太陽は日本と違い弱々しい。子どもたちは太陽を黄色に描くのである。<武田龍夫『物語北欧の歴史』1993 中公新書 p.37>
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ノートの参照
5章1節 キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱
5章3節 コ.ドイツ・スイス・イタリア・北欧
8章4節 カ.17世紀の危機と三十年戦争
第10章1節 カ.バルト海の覇者
第12章2節 ク.北ヨーロッパ諸国
書籍案内

武田龍夫
『物語北欧の歴史』
1993 中公新書

下村寅太郎『スウェーデン女王クリスチナ―バロック精神史の一肖像』
1977 中公文庫