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サンチャゴ=デ=コンポステラ

9世紀からキリスト教の聖地とされ多くの巡礼が集まったスペイン西北端の地。

 中世ヨーロッパにおいて、盛んに行われた聖地への巡礼の中で、イェルサレムローマと並んで三大巡礼地の一つとされた。
 イベリア半島のこの地方はガリシア地方といわれ、9世紀にイエスの十二使徒の一人ヤコブ(聖ヤコブ、スペイン語でサンチャゴ、英語でセント・ジェームズ、フランス語でサン・ジャック)の墓が見つかったとされて司教座が置かれ、それ以後聖地として、ヨーロッパ各地からの巡礼が集まるようになった。もともとはカスティリャ=レオン王国が国土回復運動(レコンキスタ)を国家統合の柱とする上で作りあげた伝説に過ぎなかったが、その伝説がピレネーを越えてフランスに拡がり、十字軍運動の熱狂の中で、この地への巡礼も流行となった。
 1993年、その巡礼路は世界遺産に登録されている。コンポステラとは「星の平原」という意味のスペイン語。

映画 『サン・ジャックへの道』

 現代のフランスもちょっとした巡礼ブームなのだそうな。2005年のフランス映画、女性監督コリーヌ=セローのこの作品は、聖地サン=ジャック(サンチャゴ=デ=コンポステラ)へのツアーに同行した様々な人たちが、南フランス・ピレネー・北スペインの荒涼とした巡礼路を辿りながら織りなす、一種のロードムービー。現代においても聖地巡礼ツアーが全行程徒歩で行われていてまずおどろかされるが、それに参加した連中の個性がぶつかり合う様がテンポ良く描かれていて、見飽きない。聖地巡礼をやりとげることが父親の遺言で遺産相続の条件だったため、仕方なくツアーに参加した、いがみ合っている三兄弟が中心だが、アラブ系移民の青年、卒業旅行の女子大生、離婚の痛手から逃れようと参加した女など、とりとめのない会話をかわしながら歩いていく。ガイドも妻との関係に悩んでいたりする。途中、携帯電話に振り回されたり、ちょっとしたドラマを織り込みながら、目的地につくが・・・。南フランスの人気のない農村や、スペインのメセタでの羊の放牧、巡礼宿(昔の日本の遍路宿を思わせる)や古い教会堂など、中世の巡礼路そのままを辿るような感じがあってとてもよかった。

出題

 2007年度 センターテスト世界史B 第1問 聖地や霊場への巡礼は、その地に関する情報の蓄積や交通の発達とともに盛んになった。信仰の地を訪れる旅と、それが引き起こした社会現象について述べた次の文章A~Cを読み、下の問いに答えよ。(BC省略)
A「イベリア半島北西部のガリシア地方に位置するサンティアゴ=デ=コンポステラは、①キリスト教の重要な巡礼地の一つである。9世紀に、イエスの使徒の一人ヤコブの墓とされるものが発見され、キリスト教の聖地となり、ヨーロッパ各地から巡礼者が多く訪れるようになった。「サンティヤゴの道」と呼ばれる巡礼路が形成され、ヤコブは、②巡礼者や旅人の守護聖人として崇敬を集めることになる。その一方で、イベリア半島における③レコンキスタ(国土回復運動)が盛んになると、異教徒に対して戦うキリスト教徒の守護聖人として位置づけられるようにもなった。(サンティアゴ=デ=コンポステラの聖堂にある、巡礼者としてのヤコブと異教徒と戦うヤコブの像の写真は省略)
問1 太線部①について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
 ① イスラーム教を批判したイエスの教えをもとに、成立した。
 ② 『新約聖書』を経典とする。
 ③ ディオクレティアヌス帝によって国教とされた。
 ④ クレルモン宗教会議(公会議)において、ウィクリフが異端とされた。
問2 太線部②について、旅行や航海について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
 ① コロンブスは、スペインのイザベル女王の後援を受け、カリカットに到達した。
 ② クックは、ポルトガルのジョアン2世の後援を受け、太平洋の島々を探検した。
 ③ カブラルがブラジルに漂着し、そこをポルトガル領とした。
 ④ リヴィングストンは、アフリカ内陸部を探検し、アクスム王国を訪れた。
問3 太線部③が行われた時期のイベリア半島について述べた文として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
 ① アッバース朝から独立した西ゴート王国の王が、カリフを称した。
 ② イベリア半島西部にアラゴン王国が建国された。
 ③ イベリア半島に進出したムワッヒド朝は、ムラービト朝に滅ぼされた。
 ④ ナスル朝が、グラナダにアルハンブラ宮殿を建てた。

解答

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ノートの参照
第6章3節 ア.十字軍とその影響
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コリーヌ・セロー監督
『サン・ジャックへの道』
2005