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カスティリャ王国

イベリア半島北西部のキリスト教王国。レコンキスタ運動を進め、1479年にアラゴン王国と統合されてスペイン王国となる。

 カスティリャ Castilla はカスチラ、カステラなどとも表記する。イベリア半島の北西部に生まれたレオン王国から別れて10世紀に成立。レコンキスタ運動の中心勢力として次第にイベリア半島中部に進出し、1035年にフェルナンド1世のもとで王国となり、1037年にはレオン王国との同君連合国家となって「カスティリヤ=レオン王国」と称した。

レコンキンスタの進行

 その後、1143年には西南部のポルトガルが分離するなど、分離・統合がくりかえされたが、13世紀には最も強大となってレコンキスタを推進した。1212年にはラス=ナバス=デ=トロサの戦いでムワッヒド朝を撃破した。1230年にはレオン王国を完全に併合し、さらに1236年にコルドバを奪った。12世紀には、カスティリヤのトレドに設けられたトレドの翻訳学校はイスラーム文化を通じて伝えられたギリシア文献をラテン語に翻訳し、中世の12世紀ルネサンスに大きな影響を与えた。またイベリア半島にはユダヤ人が多数定住しており、独自のユダヤ教と共同体を守りながら、カスティリャ王宮でもその財政や外交で寄与していた。

ユダヤ人迫害の始まり

 イギリス王とフランス王家の王位継承問題から始まった百年戦争の当時、カスティーリャ王国でも王位継承問題が起こっていた。1360年代に、時のペドロ1世に対して腹違いの兄弟であったエンリケ(トラスタマラ家)との争いで、ペドロ1世はイギリスの支援を受け、エドワード黒太子麾下の傭兵を兵力に加え、対するエンリケはフランス人傭兵に頼った。その頃ユダヤ人は王権の財政を支えていたことから、エンリケは盛んにユダヤ人を攻撃し、ペドロ1世はユダヤ人と結んでキリスト教徒を苦しめる「残虐王」だと宣伝した。実際にはエンリケ側のフランス人傭兵がユダヤ人共同体を略奪しただけでなく、ペドロ1世側の傭兵もユダヤ人を襲撃した。この内紛は1369年、エンリケの勝利となり、トラスタマラ朝が成立、新王はユダヤ人への識別バッチ着用を実行するなど、反ユダヤ策をとった。

異端審問

 このような政治的混乱の中で、民衆の反ユダヤ感情が高まって行き1391年にはセビリャで民衆による大規模なユダヤ人襲撃が起こり、それがコルドバ、トレドなどから全土に広がった。これはユダヤ人共同体に大きな打撃を与え、多くのユダヤ人がやむなくキリスト教に改宗した。このような改宗者である新キリスト教徒はコンベルソと言われた。カトリック教会側はその偽装改宗を疑い、厳しくその信仰を尋問するために異端審問を行うことを国王に要求し、カスティーリャ王国で国としての異端審問が始まった。レコンキスタのなかで、熱狂的な異教徒との戦いを続けると同時にキリスト教世界内部の異質なものの存在を許さないという、非寛容、排他主義が強まったのだった。

スペイン王国の成立へ

 さらにアンダルシア地方も併合したカスティリャ王国の王女イサベルは、1469年にアラゴン王国の太子フェルナンドと結婚、1474年に王位に就いた。ついで、フェルナンドが1479年、アラゴン王に即位した時に、両国は統合され、スペイン王国となって、イサベル1世とフェルディナンド5世として共同統治しカトリック両王といわれることとなった。 → 以降ははスペイン/イスパニアへ。

Episode カステラの故郷

 日本でカステラと言っているのは、長崎出島にオランダ人によって伝えられた、カスティリャで作られていたお菓子。カスティリャがなまってカステーラになった。
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