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ジャンヌ=ダルク

百年戦争でフランスの窮地を救ったとされるオルレアンの少女。1530年、イギリスによる魔女裁判の結果、火刑となった。

 百年戦争の後半にあらわれ、劣勢のフランス軍を救ったとされるオルレアンの少女。天の啓示を受けたというジャンヌ=ダルクは1429年、フランス王太子シャルルのもとに参じ、オルレアン奪還を促した。フランス軍の指揮を委ねられたジャンヌは、先頭に立ってオルレアンの解放に成功した。さらにシャルルに勧めて、ランスでの戴冠式を実現させ、正式にフランス王フランス王シャルル7世として即位させた。しかし1430年、コンピエーニュで反国王のブルゴーニュ公派に捕らえられ、1万エキュでイギリス軍に売り渡され、ルーアンで宗教裁判にかけられた結果、翌年、異端であるとの判決によって5月31日、ルーアンで火刑に処せられた(魔女裁判)。

ジャンヌダルクの復権と列聖

復権裁判 その後、シャルル7世は態勢を整え、1435年にはブルゴーニュ公と講和してフランスの統一を回復、イギリスに反撃を加えて1453までにその勢力をほぼフランスから駆逐して百年戦争を終わらせた。それによってジャンヌ=ダルクの復権を求める動きが強まり、1455年から復権裁判が行われ、翌年、異端判決は取り消されキリスト教徒とて復権した。
聖人となる 近代に入ると、ジャンヌ=ダルクは次第にフランスの国民統合の象徴と見られるようになった。特にフランスが1870年に普仏戦争に敗れた後には、国民的な救国の英雄として称揚されるようになり、「ジャンヌ列聖(カトリック教会の聖人として認められること)」を求める運動が起こった。1897年にローマ教皇のもとではじまった審理によって、まず1908年12月に福者と認定され、さらに第一次世界大戦終結後の1920年5月、ローマのサン=ピエトロ聖堂で列聖の式典が行われて聖人に列せられ「聖ジャンヌ=ダルク」となった。

Episode アンドレ=モロワの描くジャンヌ=ダルク

(引用)「1429年3月、ロレーヌからシノンにやって来た一人の若い娘が王太子(シャルル)にお目にかかりたいと申し出た。その女は『たくましく、肌がやや栗色をし、背力衆にすぐれていたが、態度物腰はつつましく、女らしい声をしていた。』……非常に敬虔なジャンヌは、羊の番をしている間に、天の声を聞き、『大きな光明の中に』大天使聖ミカエルと聖女カテリナと聖女マルガレ-タが現われるのを見たが、それらはジャンヌに王太子に会いに行き、オルレアンを救うようにとすすめた。……彼女は結局、一番近くの衛戌部隊長ヴォクルールから、男の鎧甲で身を固めてから、シヤルルのいるシノンに連れて行ってもらえることになった。……彼女は、第一に、王太子にその出生に対する自信を取り戻させようと思った。彼女にそれができるというのは、彼自身極めて信心ふかく、天から降った声を恐らく信ずるだろうから。第二にはオルレアンを解放しようと思った。というのはこの象徴的な勝利はフランス国民に信念を与えるだろうから。第三には、王太子をランス(大寺院)で祝聖させたいと思った。というのは聖アンプール(ランスにある聖油瓶で国王の抹油礼に用う)の聖油がすべての信者の眼に、権力の正統性を確証するだろうから。」<アンドレ=モロワ『フランス史』上 新潮文庫>
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ノートの参照
第6章3節 ク.百年戦争とバラ戦争
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アンドレ・モロワ『フランス史』 (上) 新潮文庫
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カール=ドライヤー監督
『裁かるゝジャンヌ』

ロベール=ブレッソン監督
『ジャンヌ=ダルク裁判』