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東林派

明末の宦官政治に抵抗した官僚派。

明の万暦帝の治世の後半、17世紀にはいると、宮廷の中で宦官の力が大きくなったことに対し、官僚の中に反宦官派が形成された。この反宦官派の中心人物の顧憲成は、故郷の江蘇省無錫で東林書院を再興し、朱子学を講じながら政治批判を展開し、多くの同調者を集めた。そのため、反宦官派のことを東林派(または東林党)という。宦官による政治腐敗を朱子学の立場から非難する顧憲成らの発言は知識人にとどまらず、一般民衆の支持も受け、東林派の勢力は次第に強まった。それに対して非東林派、つまり宦官派は皇帝の支持を頼みとして権力の維持を図り、熹宗の代となった1620~27年には魏忠賢が東林派を弾圧することに成功し、専横を極めた。その間、東林派は投獄されるものも多く、東林書院も破壊された。崇禎帝の即位とともに魏忠賢ら反東林派が失脚すると東林派が復活、それ以後も明の滅亡まで、両派の抗争は続く。宦官と官僚の対立と言えば、後漢末の党錮の禁も重要。
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7章1節 カ.東アジアの状況