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万暦帝

明末期の皇帝。後半から衰退明らかになる。

明の第14代皇帝(在位1572~1620年)。諡号が万暦帝で廟号が神宗。10歳で皇帝となり、始めの十年は名宰相張居正の改革によって財政再建に成功し、国庫は潤うことになったが、その死後は再び放漫な宮廷財政に逆戻りし、たちまち国庫は底をついてしまった。また、宦官の政治への介入が激しくなり官僚の反宦官派である東林派との激しい党争が始まった。また万暦帝の治世は、周辺の諸民族の反乱、朝鮮半島への日本の豊臣秀吉の侵略に対する出兵など対外的な問題に加え、国内では抗租奴変民変などの社会問題が表面化し内外の困難が生じ、明の衰退がはっきりとしてくる時期であった。またこの時期、ヨーロッパ人の渡来も多くなり、イタリア人マテオ=リッチが北京で布教にあたったのも万暦帝の時代であった。その陵墓は明の十三陵の一つ「定陵」で現在公開されている。

Episode 神宗万暦帝の定陵

 明の国運が急速に傾きつつあった1620年7月、神宗は58歳で病没した。遺体は、生前に6年の歳月と800万両の大金を投じて造営された陵墓「定陵」に葬られた。「定陵」のある北京北方の40キロの天寿山のふもとには成祖の長陵を初めとする、いわゆる「明の十三陵」が存在する。1956年から中華人民共和国政府の手によって「定陵」の発掘が行われ、地下20m、前・中・後の三室、全長88m、高さ7mに及ぶ地下宮殿が現れ、多数の豪華な副葬品がみつかった。現在は人民を収奪した専制君主の贅沢のあかしとして、公開されている。
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7章1節 カ.東アジアの状況