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チャハル部

内モンゴルにいた遊牧部族で、1632年に後金のホンタイジに征服された。

 チャハルは15世紀末にモンゴル民族を再統一したダヤン=ハンが設けた右翼の3万人隊の一つ。アルタン=ハンに押されて大興安嶺の東に移り、後に現在の内モンゴルに戻った。1632年に満州のホンタイジ(太宗)によって征服され、服属することとなった。1914年からはチャハル特別区、28年チャハル省となり、現在は内モンゴル自治区に属する。

ホンタイジ、チャハル部を征服

 モンゴルのチャハル部のリンダンは、元の正統の後継者を自認していたが、後金(アイシン)に圧迫されて西方に移動し、フフホト(現在の内モンゴルの呼和浩特)を拠点にモンゴルの再統一を図り、チベット遠征を企てた。しかしその途中で病死すると、モンゴルの勢力はいっきょに瓦解した。ホンタイジはその混乱に乗じてフフホトを占領し、チャハル部を併合した。この時、ホンタイジは降伏したモンゴルから大元伝国璽という玉印を得た。これは元朝の歴代皇帝が保持していたものであると言い、ホンタイジがそれを手にいれたということは、彼がモンゴル帝国を受け継ぎいだことを意味する。それによってホンタイジは、満州・モンゴル・漢に君臨する支配者であるという名分を得た。ホンタイジは1636年、後金を改めてとした。<山本英二『中国の歴史 増補改訂版』2016 河出書房新社 p.191>
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