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アルタン=ハン

16世紀に明に侵攻したモンゴルの王。チベット仏教に改宗した。

 16世紀、しばしば明を脅かしたモンゴルの王。生没1543~83年。特にモンゴルにチベット仏教を導入したことは重要。モンゴル高原には15世紀の後半、ダヤンが現れ、モンゴル民族をほぼ統一し、再び明の領土を脅かし始めた。ダヤンの孫で、「右翼」のトメト部を率いていたのがアルタンで、1520年代から侵攻を開始し、特に1542年には山西に侵攻、1ヶ月にわたり略奪にあけくれ、20余万人を殺したという。また1550年には北京城を数日にわたって包囲した。このモンゴルの脅威は、明にとって深刻で、「北虜南倭」の北虜とはこのアルタンの侵攻を意味した。次いでアルタンは西に転じ、オイラト部を討ち、チベット・青海を服属させた。チベット・青海はチベット仏教が盛んで、1578年、チベット仏教の黄帽派の指導者、ソナム=ギャムツォはモンゴリアに赴いてアルタン=ハンを改宗させた。アルタン=ハンはフビライの、ソナム=ギャムツォはパスパの生まれ変わりだという言われるようになり、モンゴルでのチベット仏教信仰が復活した。アルタン=ハンは彼にダライ=ラマの称号を与えた。チベット仏教のダライ=ラマ制度はここから始まる。チベット仏教に帰依してから、戦争での殺生をやめることを決意し、中国への侵攻を停止て和議を成立させ、大同その他に馬市を設けて中国との交易の場とした。モンゴル側からは金・銀・馬・牛・羊など、中国側から絹布・米・麦・鉄鍋などを交易し、この馬市はその後も長く漢民族とモンゴル人の交易の場となった。
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7章1節 エ.朝貢世界の動揺