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軍機処

清の雍正帝の時に置かれた軍務機関。始めは軍務機関に過ぎなかったが、後に国政の最高機関となり、軍機大臣が実質的な内閣総理大臣を務めることになる。


紫禁城の一角に残る軍機処
 雍正帝の時、ジュンガルの平定のためにおいた臨時の大本営としてもうけたのが軍機処の始まり。本来は軍務機関であったが、明以来の内閣大学士に代わり、皇帝の諮問機関として国政および軍政の最高機関となっていく。軍機処を構成する複数の軍機大臣がおかれた。軍機処は1911年の清の滅亡まで続いたが、その建物は紫禁城の乾清門の左手にあり、現在も残されている。

軍機処が置かれた事情

 雍正帝の時に軍機処がおかれた事情は、宮崎市定『雍正帝』にわかりやすい説明がある。清でははじめ明代以来の内閣制度がとられたが、清朝の朝廷では満州語が用いられており、中国各省から送られてくる漢文の報告書は満州文に翻訳しなければならず、時間がかかり事務が渋滞したり機密が漏れたりすることがあった。雍正帝が設けた軍機処は大臣の下に満州人と漢人の書記官をおき、漢文の報告書は漢人事務官が処理し、満州文の報告書は満州人事務官が処理することて迅速化を図った。それがうまくいったので、初めは軍事だけを取り扱う機関であったものが、国内政治をも処理する中枢機関になった。<宮崎市定『雍正帝』初版1950 中公文庫 p.170>
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ノートの参照
7章2節 ア.清代の統治
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宮崎市定
『雍正帝』
中公文庫