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広南国/広南王国

16~18世紀、黎朝(後期)の時期に、ベトナム南部を実質的に支配した阮氏の独自政権。フエを拠点とした。

 広南(こうなん)国というのが一般的であるが、山川用語集では広南王国としている。「王国」といえるのかは微妙なところである。広南は漢字で表記であるが、ベトナム語ではカンナム国、クァンナム国という。ベトナム(大越国)の黎朝(後期黎朝)で、北部のハノイを拠点とした鄭氏政権に対し、中部のフエを拠点とする独自の政治権力となった阮氏の建てた国。この阮氏を広南阮氏といい、この政権を広南(カンナム/クァンナム)国ともいう。

阮氏の建てたベトナム南部の独自政権

 広南阮氏は、ハノイの中央政府には従わず、独自に中部ベトナムを支配して農民から租税を徴収、また積極的にメコン=デルタへの進出をはかった。ベトナム人のメコン=デルタへの進出は、中部ベトナムの国土の狭さと気象条件の悪さ(フェーン現象)から、より生産性の高い土地を求めた結果と思われる。しかし、広南国の統治は統制の無いまま、無秩序に進んだため、貧富の差は拡大し社会不安が強まっていった。この広南阮氏の悪政に対して、1771年に西山の乱(タイソンの乱)が起こった。 → ベトナム(4)
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