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西山の乱/タイソンの乱

1771年に、ベトナムの中部西山郡の阮氏が起こした反乱。西山朝を建て、一時統一支配した。タイソンの乱ともいう。

 ベトナム(大越国)の黎朝は16世紀になると急速に衰え、一時部将の莫(マック)氏に権力を奪われた(1527年)。その後は、形の上では黎朝が復活したが、実権は北部の鄭氏(チン)と南部の阮氏(グエン)に移り、両者は200年にわたる抗争を展開(ベトナム中世の南北戦争)し、混乱と腐敗が続いた。特に阮氏の支配地域は広南国とも言われたが、悪政が続きいていた。
 この混乱と腐敗を一掃するベトナムの新しい動きが、1771年に起こった西山の乱(西山反乱)※であった。
※参考 「西山党」とはいわない この反乱を起こした阮氏三兄弟が西山(ベトナム語でタイソン)出身であったので、日本では「西山党の乱」と言われることが多かった。現在も教科書・参考書・用語集で「西山党」、「西山党の反乱」とされていることもあるが、多くは党を付けないようになっている。党には結社の意味があるが、彼らはそのような意味で党を結成したのではないので、現在では単に「西山の乱、またがベトナム語の「タイソンの乱」、彼らが建てた政権は西山朝でよい。ニシヤマではないのでむしろ、タイソンとベトナム語で読んだ方が間違いがない。

反乱の勃発

 1771年、広南(クアンナム)阮氏の圧政に対して、中部ベトナムの西山(タイソン)郡に住む阮文岳(グエン=ヴァン=ニャク)、阮文恵(グエン=ヴァン=フエ)、阮文侶(グエン=ヴァン=ルー)の三兄弟(南部の阮氏とは関係ない)が周辺の農民を率いて反乱を起こし、1773年にはクィニヨンを占拠した。次第に勢力を強めた反乱軍は、1778年に長男が王を称し中部ベトナムに西山朝(西山政権)を起こした。これが西山の乱(タイソンの乱)であり、「タイソンの蜂起」とも言われる。かつては阮氏三兄弟は賊軍とされていたが、最近のベトナムでは救国の英雄として評価されている。彼らはその後、南部の阮氏政権(広南国)、北部の鄭氏政権(名目上の黎朝)を倒してベトナムを統一した。<『物語ヴェトナムの歴史』小倉貞男 中公新書などによる> → ベトナム(4)

反乱の意義

 西山の乱(タイソンの乱)は、農民蜂起にとどまらず、広範な農民を組織し、短期間ながらベトナムに統一政権を成立させ、清朝の干渉軍を撃退したことから、ベトナムの歴史上、重要な意味をもつ農民反乱とされている。最終的にはフランスの支援を受けた阮福暎によって1802年に倒されるが、約30年にわたりベトナム統一の戦いを続け、15世紀からの黎朝の形式的支配、17世紀の鄭氏(チン)と阮氏(グェン)の武家政権による南北分断を終わらせたことが重要である。
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