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ブルネレスキ

15世紀、フィレンツェの建築家。サンタ=マリア大聖堂の大円蓋を完成させた。

 Brunelleschi 1377-1446 ルネサンス期の15世紀初頭、フィレンツェで活躍した建築家。彫刻におけるドナテルロ、絵画におけるマサッチョとともに、建築における「近代的表現」を開拓した作家として重要である。特にフィレンツェのサンタ=マリア大聖堂の大円蓋を1421年から36年までに完成させ、ルネサンス様式建築の代表作となった。その設計の際に、遠近法の技法を考えついたという。遠近法は後に絵画に取り入れられ、ルネサンス美術の新しい技法となった。また彼の新しい彫刻技法は、同じくフィレンツェ人のドナテルロに受けつがれた。

Episode 彫刻コンクールに落選し、建築に転じる

 ブルネレスキははじめは彫刻師(金属細工師)であった。1401年、フィレンツェサンタ=マリア大聖堂付属サン・ジョバンニ洗礼堂の門扉をかざる彫刻の製作者を決めるコンクールに応募し、ギベルティと最終選考をきそったが、僅差で落選したという。両者同じテーマで競作したがギベルティの作品はゴシック的な要素を残した繊細なもので、ブルネレスキはドラマチックで新しい作風を示していた。選考委員はギベルティの繊細さを評価したのだった。ブルネレスキは落選したため深く失望し、彫刻を断念し建築に向かうようになったという。このようにコンクールによって実力のあるものが評価されるというのが始まったのもルネサンス時代の特徴であった。このときの二人の作品「アブラハムの犠牲」は、現在もフィレンツェの国立バルジェロ美術館に並んで陳列されている。
 またこのとき選考委員はブルネレスキの技倆も認め、二人を優勝として共同製作を提案し、ギベルティはそれを受け容れたが、ブルネレスキは「一人で制作するのでなければいやだ」といって突っぱねたため、ギベルティだけの優勝になったという。これはブルネレスキに好意的な伝記作者のつくった伝説に過ぎないが、当時の「職人」から「芸術家」に変質しつつあった作家の心意気を示しているともいえる。<高階秀爾『フィレンツェ』1966 中公新書 p.66-73、100-107>

Episode ブルネレスキの卵

 1420年、フィレンツェ市は「フィレンツェ共和国の紋章たるフィオレすなわち百合の花の名を帯びた白百合のサンタ・マリア・デル・フィォレ」のドゥオモの円屋根の新築にあたり芸術家のコンクールを開催、ドイツ、フランス、イギリスなどからも応募があった。大円蓋をどうやって建築するか、中には会堂内にいっぱいに土を盛りあげてそのうえに円屋根をきずき、出来上がったら中の土を早く掻き出すために予め銀貨を混ぜておき、競って土を運び出させよう、と言う奇抜なアイディアもあった。ブルネレスキはそのプランを説明するにあたり、一つの卵を取り出し、その卵の突端で立てることができるか尋ね、人びとが解決できないでいると、彼はその卵の先端をテーブルに軽く当ててへこみを作り、立てて見せた。「コロンブスの卵」の逸話と同じようなたとえで、彼は自分のプランの優秀な点を力説し、その結果、ブルネレスキのプランが採用されることになった。<羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』1939 岩波新書 p.99>

サンタ=マリア大聖堂の設計

 ブルネレスキのサンタ・マリア・デル・フィオレ大円蓋の建設プランは、巨大な円屋根をその下に一本の支柱をもつかわずに、最小の経費で最も自由に最も美しく築く計画であって、人びとが容易に信じないようなものだった。討論の結果、ブルネレスキ案は最優秀となったが、建設主任の地位はかつて同じ大聖堂のサン・ジョバンニ洗礼堂の門扉をかざる彫刻コンクールで彼に勝ったギベルティが選ばれた。ブルネレスキは不満であったが、ドナテルロなどの若い仲間の友情がかれらをやわらげ、やがて建築が進んで最も難しいところにさしかかると、ギベルティはブルネレスキの優秀を認めて自ら身を退き、栄誉と責任とは主としてブルネレスキに帰することとなった。その人柄と手腕には労働者もよく従い、フィレンツェ市民も大なる支持をおくり、1423年にはフィレンツェ自由都市政府シンヨリアの主席の一人にブルネレスキを選出した。そして、1434年にあの今も美しいドゥオモが完成した。
 またブルネレスキは、1444年にフィレンツェの絹織物業者組合の経営する育児院の設計をした。これは世界で最初の社会事業としての孤児院であり、その正面の優美にならびたつ柱のおのおのの上にアーチの間にかかげられた円形の浮彫の幼児は、みんなはだかまたはむつきを腰にまいて、それぞれちがったかあいらしい表情をしている。<羽仁五郎『ミケルアンヂェロ』1939 岩波新書 p.7,p.98-100>
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ノートの参照
8章2節 イ.文芸と美術
書籍案内

高階秀爾『フィレンツェ』1966 中公新書

羽仁五郎
『ミケルアンヂェロ』
1939 岩波文庫