印刷 | 通常画面に戻る |

再洗礼派

ツヴィングリの改革から生まれた、新教徒の一派。幼児洗礼を否定した。

 宗教改革期のスイスの改革者ツヴィングリは、徹底した聖書主義を貫き、聖書に根拠のない儀式の廃止を進めた。その中の幼児洗礼(生まれたばかりの赤ちゃんに洗礼を施すことで、中世のカトリック教会では一般的に行われていた)についても疑問を持ったが、キリスト教社会の印として認めていた。しかし、ツヴィングリ派の急進派は、幼児洗礼も聖書に根拠がないとして否定し、本当に入信したときに洗礼を受けるべきだと主張するようになる。1525年、彼らはツヴィングリ派から分離して再洗礼を実施したので、再洗礼派と言われるようになった。 → プロテスタント
 再洗礼派は農民戦争の時期にスイスからドイツ、ネーデルラントに急速に広まり、ミュンツァー派とも手を結んだ。その多くは下層市民や農民であったので、カトリック側も、プロテスタント側もこの再洗礼派を過激な集団とみて弾圧した。1534年には北部ドイツのミュンスターで市政を掌握し、「新しきイェルサレム」と称して、贅沢品や余剰の富を供出させ、市民は必要に応じて物資を受け取り、貨幣を廃止するという一種の共産主義社会を出現させた。しかし周辺の領邦と諸侯の攻撃を受け、1年後に崩壊、あくまで信仰を守ろうという再洗礼派はドイツを逃れ、アメリカやカナダに逃れることとなった。
印 刷
印刷画面へ