印刷 | 通常画面に戻る |

プロテスタント/新教徒

宗教改革に始まるルター派の信者など、ローマ教会から離脱した新教徒。

 16世紀のヨーロッパのキリスト教世界で、ドイツを中心に宗教改革が展開される中で形成された、ローマ教皇を頂点としたカトリック教会の権威を否定して、主として聖書をもとにした純粋な信仰を掲げた宗派を総称してプロテスタント(新教徒)という。またその思想をプロテスタンティズムという。

プロテスタントのおこり

 1529年、3年前の26年に次いで第2回シュパイエル帝国議会が開催されると、カトリック派の諸侯が巻き返しを図り、カール5世もイタリア戦争の戦況好転し、講和が成立したので、前回の決定を取り消し、ヴォルムス帝国議会で出したヴォルムス勅令を復活させた。つまりルター派の信仰を再び禁止したのである。それに対して、5人のルター派諸侯と、14の帝国都市が、「抗議文」を提出した。ここからルター支持の新教徒のことを「プロテスタント(抗議する人びとの意味)」と言われるようになった。この段階では彼らは少数派であった。プロテスタントも大きく分けてルター派カルヴァン派があり、さらに多くの宗派に分かれているが、共通する考え方としては万人祭司主義などがある。

プロテスタンティズム

 プロテスタントは、16世紀の宗教改革の中で生まれ、ローマ=カトリック・東方教会・イギリス国教会とともに、キリスト教の四大会派の一つであるが、その中にはルター派とカルヴァン派の違いがあり、地理的な違い、政治的背景の違いなどから無数の分派に分かれている。プロテスタンティズムと総称されるその理念も、ローマ教皇の絶対的権威を否定することでは共通するが、教義や儀礼に対する考え方、教会組織のあり方など、様々な宗派があり、一括して説明することは困難である。
 プロテスタントは、もちろん、唯一神への信仰、イエス=キリストを教祖、聖書を経典とすることではキリスト教の枠内に入る。それではプロテスタンティズムとカトリシズムの違いは何だろうか。
・カトリシズムは、神の恩寵を信じ、善き行い(善行)によって人は救いにあずかると教える。プロテスタンティズムは、神と人間との関わりは直接的であり、救いはキリストの贖(あがな)いを信じることによってのみ得られると教える。これはルターの信仰義認説であり、プロテスタンティズムの根幹となっている。
・カトリシズムは聖書と並んで諸聖人の聖伝を信仰の拠り所としているが、プロテスタンティズムは聖書だけが信仰の唯一の権威であると信じる。これもルターの福音主義を継承している。

プロテスタントの主な分派

ルター派 ルターは福音主義、信仰義認説、万人祭司説を明確に打ち出し、ローマ教皇とカトリック教会の形式的な儀式とかしている秘蹟の祭儀を否定した。その信仰の基本原理は神学者メランヒトンの「アウクスブルク信仰告白」で体系化された。ルター派は聖体拝領を守り続けたが、犠牲としての意義は取り除いた。礼拝ではラテン語ではなくドイツ語が用いられ、説教が中心となった。信徒には聖職者を選ぶ権利が与えられた。クリスマスとイースターなどの祝祭日は残されたが、カトリックの祝祭日の一部は廃された。
 ヨーロッパではドイツからデンマーク、ノルウェー、スウェーデンに広がり、そこからアメリカに伝えられた。アメリカでのルター派は独自の発展をみせ、アメリカ福音ルーテル教会やオーガスタナ福音ルーテル教会など、無数のグループが結成された。
アナバプティスト スイスの宗教改革家ツヴィングリの系統をひく。彼はルターの影響で改革にあたったが、ルターよりも過激で、聖書を絶対の権威としてそれに書かれていない一切の祝祭・告解・贖罪、さらには教会のオルガンでさえ禁止した。ルターは聖体拝領のパンと葡萄酒をキリストの言葉通り、その身体である解し、恩寵への感謝の秘蹟としてうけいれたが、ツヴィングリはそれは単なる象徴に過ぎないとして否定した。この論争はプロテスタンティズムに最初の大きな亀裂をもたらした。ツヴィングリの追随者は、幼児洗礼を認めず、再洗礼、つまり自らの意思で信仰に入ることが必要と主張したので「再洗礼派=アナバプティスト」、その短縮形で単にバプティストと言われた。
 アナバプティストはカトリックとルター派の双方から反対されたためドイツでは絶え、スイスやオーストリアのチロル地方で勢力を広げた。オランダではその指導者メノー=シーモンス(1496~1561)の名からメノナイト派と呼ばれて生き残り、アメリカに渡ってフィラデルフィアのジャーマンタウンやペンシルヴェニア州ランカスターのアーミッシュなど、田舎で強い絆で結ばれた共同体を維持し、電気等を使わない質素な生活を今も続けている。その他にもバプティストは特にアメリカ大陸で17世紀に広がり、様々なバブティスト教会が分立した。18世紀以降はアメリカ大陸の黒人に広がった。
カルヴァン派 カルヴァンは1533年にプロテスタントであることを宣言、36年に弱冠26歳で『キリスト教綱要』を著してスイスとフランスに大きな影響を与えた。1541年からはジュネーヴの市政をプロテスタント信仰にもとずく理念で推し進めた。カルヴァンは、教会は信頼できる平信徒(長老)によって運営されるべきことを望んだ。カルヴァンの追随者は、フランスではユグノー、イングランドではピューリタンと呼ばれた。スコットランドではプレスビテリアンと言われ、ジョン=ノックスがその指導者となって活躍した。英語圏ではカルヴァン派の教会はプレスビテリアン・チャーチ(長老派教会)と呼ばれるが、英語圏外ではリフォームド・チャーチ(改革派教会)と言われることが多い。
イギリス国教会 イギリス宗教改革によって成立したイギリス独自のプロテスタント。アングリカン=チャーチともいう。日本では「聖公会」と訳されている。最大の特色は、イギリス国王を首長とする主教制度をとっていることである。もともとイギリス宗教改革はヘンリ8世の離婚問題でのローマ教皇との対立から始まったので、教義の上でカトリックとの違いは多くはなく、その儀礼的な面も継承していた。メアリー1世の時などのカトリックへの復帰があった後、エリザベス1世の時の統一法と;信仰箇条で教義を確立させた。国教会体制は1642年に始まるピューリタン革命で大きく動揺したが、1673年に審査法でカトリック信者と非国教徒は公職に就けないことになり、名誉革命を経て確立したイギリス立憲君主政を支える宗教理念となった。 → イギリスの宗教各派
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
8章3節 ア.宗教改革の始まり
書籍案内

ブラウン/秦剛平訳
『キリスト教』
1995 シリーズ世界の宗教