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グスタフ=アドルフ

スウェーデン国王。三十年戦争で新教側の中心としてドイツに侵攻。

 17世紀には北欧の大国であったスウェーデンの国王。16歳で即位。正式にはグスタフ2世アドルフ。スウェーデンはプロテスタントを国教としていたので、カトリックを奉じるポーランド、ギリシア正教を掲げるロシア(ロマノフ朝)と対立し、またバルト海の支配権をめぐってにらみ合っていた。そのような中、彼は財政の安定、法制の整備、軍制の改革、病院・郵便・教育の制度の整備などに努め、スウェーデンをプロテスタントの強国に成長させた。その上でポーランドに侵入し、ラトビア・リトアニアを支配下に置いた。こうしてスウェーデンはバルト海沿岸にフィンランドも含む広い領土をもち、ロシア、ポーランド、デンマークなどと勢力を分け合い、グスタフ=アドルフは「北方の獅子王」といわれた。

三十年戦争とグスタフ=アドルフ

:ドイツで三十年戦争が長期化し、新教徒側が苦戦に陥ると、誠実なプロテスタントであったグスタフ=アドルフはその救援を決意した。あえてドイツの内戦に介入した背景には、カトリック勢力によってドイツが統一された場合、同じカトリック国であるポーランドと並んで、スウェーデンにとて大きな脅威になることを恐れたからであった。グスタフ=アドルフは1630年にドイツに侵攻し、自ら新式の銃や大砲をそなえた軍隊を率いて勝ち進んだ。1632年にはカトリック側の有力諸侯バイエルン選帝侯の都ミュンヘンを陥落させ、一転してハプスブルク家の本拠ウィーンに迫った。神聖ローマ皇帝フェルディナンド2世は急遽ヴァレンシュタインに再び指揮を執らせ、両軍はニュルンベルクの戦いで戦ったが決着がつかず、次いでリュッツェンで対決した。リュッツェンの戦いではグスタフ=アドルフは自ら騎馬で全軍の先頭に立ち、近視だったために敵に近づきすぎて小銃で射抜かれ戦死した。乱戦の中で国王の死体は死人の山に埋もれてしまったという。戦闘はスウェーデン軍の優勢に終わり、ヴァレンシュタインはプラハに後退したが、スウェーデンも国王を失い、苦境に立つこととなる。スウェーデンは王位を娘のクリスチーナが継承し、名宰相といわれたオクセンシェルナが補佐する体制をとり、さらに10数年の戦闘を経て、クリスチーナの判断で講和に応じ、ウェストファリア条約を締結することとなる。
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8章4節 カ.17世紀の危機と三十年戦争