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ラクスマン

ロシアの海軍軍人。1792年、エカチェリーナ2世の命令で漂流民大黒屋光太夫を伴い、根室に来航し日本に開国を迫る。 

日本の漂流民である大黒屋光太夫を保護し、ペテルブルクまで同道してその帰国に尽力したキリル=ラクスマンの次男で海軍の軍人。1792年、エカチェリーナ2世の命を受け大黒屋光太夫らを伴って根室に行き、江戸幕府に交易を申し入れた。松前で幕府代表と交渉したが、時の老中松平定信は、鎖国を理由に交渉を拒否、長崎であれば交渉は可能であると回答、ラクスマンは目的を達することができず帰国した。江戸幕府に対する欧米諸国による開国要求の最初のものであった。その後ロシアは、この時の約束に基づき、1804年使節レザノフを長崎に派遣、開国を要求したが幕府はそれを撃退、報復のためロシア艦隊が樺太、択促を襲撃するという事件が起こった。
大黒屋光太夫 伊勢出身の日本人漁民で、嵐にあって太平洋を漂流し、千島列島に漂着、ロシア人に救助されて1791年にペテルブルクに連行され、ロマノフ朝のエカチェリーナ2世に謁見した。エカチェリーナ2世は、日本に興味を持ち、翌年、ラクスマンに命じて大黒屋光太夫を送り届け、あわせて江戸幕府に開国を要求した。

Episode エカチェリーナ2世に謁見した日本人

 江戸時代の日本人で太平洋を漂流し、アリューシャン列島に漂着してロシア人に救助され、ペテルスブルクまで行って時のロシア皇帝エカチェリーナ2世に謁見した日本人がいる。伊勢(三重県)出身の船頭大黒屋光太夫である。彼らは1782年12月、伊勢白子港から江戸に向けての物資を運ぶ神昌丸で船出したが、遠州沖で嵐に遭い、漂流したのである。アムチトカ島に漂着した後、ロシア人に伴われてシベリアを横断し、9年後の1791年にペテルブルクにたどりつく。白子港を出たときの乗組員は全部で17人と猫が1匹であったが、途中壊血病で死んだり、イスクーツクでロシアに帰化したりして、ペテルブルクに着いたのは船頭の大黒屋光太夫と船乗磯吉の二人だけになっていた。二人をペテルブルクに連れてきたのはキリル=ラクスマンで、この二人を日本に帰すことで鎖国中の日本と交易の機会を作ることをエカチェリーナに進言しようとして二人を連れてきたのである。光太夫と親しく接見したエカチェリーナ(その時62歳)、鄭重に彼を扱い、帰国を認めた。光太夫たちはアダム=ラクスマン(キリルの子供)と同道して日本に戻ることになった。これがラクスマンの日本来航の理由である。ラクスマンといっしょに日本に戻った光太夫と磯吉は1793年に江戸に入り、将軍徳川家斉に謁見、その体験を報告した。その報告を聞き出し、記録したのが桂川周甫の『北槎聞略』である。二人は江戸に屋敷を与えられたが、日露の交易の開始には役立つことができなかった。<山下恒夫『大黒屋光太夫』-帝政ロシア漂流の物語- 2004 岩波新書>
※なおこの大黒屋光太夫を主人公にした小説が、井上靖『おろしあ国酔夢譚』や吉村昭『大黒屋光太夫』である。前者は緒方拳主演で映画化されており、フランス女優マリナ・ブラディが貫禄十分なエカチェリーナ女帝を演じている。
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ノートの参照
9章1節 カ.北方戦争とロシア
書籍案内

山下恒夫『大黒屋光太夫-帝政ロシア漂流の物語-』
2004 岩波新書

井上靖『おろしあ国酔夢譚』
文春文庫