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クリム=ハン国

キプチャク=ハン国の分国としてクリミア半島のタタール人がつくったイスラーム教国。奴隷交易で繁栄したが、オスマン帝国の保護下に入り、1783年にはロシアに滅ぼされた。

 黒海の北岸にあるクリミア半島には、15世紀にキプチャク=ハン国の分国のひとつ、クリム=ハン国が成立した。クリム=ハン国はトルコ系民族でイスラーム教を奉じたタタール人が、黒海を舞台とした交易で繁栄した国であった。都はバフチサライに置かれた。

奴隷貿易で繁栄

 クリム=ハン国の遊牧民タタールは、ロシア草原で盛んに略奪を行い、スラブ人を奴隷として捕らえてコンスタンチノープルに運び、イスラーム商人に売りさばくという奴隷貿易を行っていた。またクリミア半島のクッファなどの海港都市のジェノヴァ商人とも取引を行い、黒海貿易の利益を独占して繁栄していた。1502年にキプチャク=ハン国が滅亡すると、チンギス=ハンの子孫を自称するタタール人のメングリ=ギレイがハンとして支配し、全盛期となった。

オスマン帝国の保護下に入る

 しかし、そのころ小アジアからバルカン半島にかけて勢力を伸ばしてきた同じイスラーム教国のオスマン帝国は、さらに黒海に進出し、1475年にはジェノヴァの支配下にあったクリミア半島の海港都市クッファを占領した。クリム=ハン国はオスマン帝国との対立を避け、その宗主権を認めて保護下に入った。ただし、完全な属国となったのではなく、一定の独立を保っていた。

ロシア帝国の南下

 クリム=ハン国にとって決定的な危機は、北方の強国、ロシアの南下政策であった。18世紀、エカチェリーナ2世の時にロシアはオスマン帝国と戦い(広義のロシア=トルコ戦争)で、1774年にキュチュク=カイナルジャ条約を結びクリム=ハン国の保護権を獲得、さらに1783年にはエカチェリーナ2世の派遣したポチョムキンによってクリム=ハン国は滅ぼされ、クリミア半島はロシア領となった。
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ノートの参照
9章1節 カ.北方戦争とロシア