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シュラフタ

ポーランドの貴族のこと。国王選挙権を持つ特権階級として大きな力を持った。

ポーランド語で「貴族」の意味。ポーランド王国で14世紀のカジミェシュ3世のとき、不輸・不入の特権を認められた土地を所有し、紋章を有する血統であることという二つの条件を満たす騎士を「シュラフタ身分」と定めた。 ドイツ騎士団の東方進出という脅威に対して結成されたリトアニア=ポーランド王国が成立してヤゲウォ朝の時代となり、1410年のタンネンベルクの戦い、1454~66年の十三年戦争での勝利でシュラフタへの依存が強まったため、彼らの発言権は次第に強まっていった。

シュラフタ民主政

 ポーランド王は領土拡大などのための周辺諸国との戦争のために、シュラフタの財政的、軍事的協力を得なければならず、臨時課税や動員などに際して全国のシュラフタを召集し、議会を開いてその了承を得るようになった。次第に司教や大臣、地方高官から成る王国評議会と、地方小議会の代表が集まる地方評議会という二院制の議会が成立し、両院は同等の権限を付与されるようになった。1505年には、国王は全国議会を招集し、「これ以後、後の世に至るまで評議会と地方代議員の許可なくして、余と余の後継者は新しいいかなることも決定しない」と宣言した。このようなシュラフタによって構成される議会によって国政が決定される体制をシュラフタ民主政という。

シュラフタの特異性

 他のヨーロッパ諸国では、中世後半に封建領主層は没落していったが、ポーランドではシュラフタという形で大きな力を持ち続けていた。ポーランドでも騎士的シュラフタである大貴族は徐々に減少したが、中小の領主層も増加して15世紀ごろには、ほぼ人口の10%を占める社会層を形成した。15世紀以降、シュラフタは騎士から直営農場を経営する地主へと変質していたのである。彼らは一カ村から数カ村の領主として税を徴収し、富を蓄えていった。国家もシュラフタへの依存をますます深めていった。
 1572年以降の選挙王制では、シュラフタが国王選挙の選挙権など、多くの権限を持つに至った。その権限の最たるものは議員の「自由拒否権」の特権である。この自由拒否権とは議員が一人でも拒否権を発動すると決議できないという、一人ひとりの議員の権限を究極まで認めたものであるが、同時に多数決で決定することができないこととなり、何も決められないという事態が生じていった。ポーランドの議会制度はヨーロッパの中でも古い伝統を持つが、このような特殊なルールのため、次第に形骸化し、国家の分割を受け入れざるを得なくなったといわれる。<山本俊朗・井内敏夫『ポーランド民族の歴史』1980 三省堂選書 などによる>