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人口の都市集中

産業革命によって人口が農村から都市に移動し、都市人口が急増、様々な社会問題が起こった。

 産業革命による工業化は、労働力として多数の賃金労働者を産みだしたが、彼らは農村から離農して都市に流入した。そのため、都市人口が急増し、また新たな工業都市も出現した。イギリスにおいては1750年代に都市人口の急増が始まり、ロンドンの人口が増加したのみ成らず、マンチェスターバーミンガムリヴァプール、グラスゴーと言った新興都市が登場した。それらの都市では住宅、道路、衛生、学校などが人口急増に追いつかず、様々な社会問題を引き起こした。またイギリス議会の選挙区割りはこの大移動以前のものが続いていたため、人口の激減した農村部での議席は残り(腐敗選挙区)、人口のの急増した都市部には議席が与えられないという不平等が小事、選挙制度の改正と共に区割りが問題となった。
(引用)1750年には5万人以上の住民を持つ都市はイギリスには二つ――ロンドンとエディンバラ――しかなかった。1801年にはすでに八つあり、1851年には28あって、そのうちには10万以上の都市が九つふくまれていた。このときまでにイギリス人は農村よりも都市に多く住むようになっており、イギリス人の約3分の1は5万人以上の住民をもつ都市に住んでいた。しかも、なんとひどい都市であろうか! それはたんに煙が街をおおい、汚物にあふれ、初歩的な公共サービス――水道、下水、道路清掃、空地など――が都市への大量人口流入に追いつかず、とくに1830年以後、コレラ、チフス、および19世紀の都市の二大殺人集団――空気汚染と水の汚染、すなわち呼吸器の病気と腸の病気の恐ろしいたえざる犠牲者を生みだしていた、ということだけではない。それはたんに、新しい都市の人口が、ときにはアイルランド人のように非農業的生活にまったく不馴れなまま、荒れはてたスラムにつめこまれ、それをみただけで、観察者の心臓が凍るような思いであった、ということだけではない。“文明は奇蹟をおこす”と偉大なフランスの自由主義者ド・トックヴィルはマンチェスターについて書いた、“そして文明人はまるで野蛮人へ逆戻りしている。”<ホブズボーム/浜林正夫他訳『帝国と産業』1984 未来社 p.103>
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10章1節 ウ.資本主義体制の確立と社会問題