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イギリス選挙法の改正

イギリス議会制度での選挙制度の改正の歴史。

13世紀にイギリス議会制度が始まったが、当初の身分制議会は、封建社会の各身分の代表によって構成されており、国民の代表を選出するものではなかった。下院(庶民院)の議員は選挙で選ばれるようになるが、その有資格者は地主階級(ジェントリ)に限られており、わずか3%を占めるにすぎなかった。また選挙の区割りも次第に実際の人口分布と会わないという不合理さが顕著になってきた。そのような選挙法を改正し、選挙権を拡大しようという運動が産業革命後のイギリスで始まった。イギリスにおける選挙法改正の歴史は、次の3段階、5次にわたっている。

19世紀前半

:産業革命後の産業資本家、労働者階級の成立を受けて、19世紀初めの選挙法改正運動の気運が高まる中、1832年にホイッグ党グレイ内閣のもとで、第1回選挙法改正が行われ、腐敗選挙区が無くなり、都市の中産階級に選挙権が拡大された。しかし財産制限は残り、普通選挙は実現しなかったので、30~40年代にチャーティスト運動が展開されたが、普通選挙は実現できなかった。その間、トーリー党とホイッグ党は分裂と統合を繰り返しながら、次第に近代的な政党に変質し、1830年代に保守党と自由党という2大政党に変質した。 → イギリス(7)
 フランスでは、男子普通選挙はフランス革命の時の1792年に最初に実施され、それによって国民公会が成立していたが、1795年憲法で否定されてしまった。その後制限選挙が続いたが、七月王政のもとで選挙法改正運動が高揚し、1848年の二月革命によって実現し、四月普通選挙が実施されていた。

19世紀後半

:この時期の二つの政党は保守党と自由党は、保守的と革新的という性格の違いはあるが、いずれもブルジョア政党であった。当時の代表的政治家の保守党ディズレーリ、自由党グラッドストンは共に選挙法改正は不可避と考え、それぞれ党内の保守派の抵抗に遭いながら、改正案を議会に提出した。その結果、1867年第2回改正は保守党ダービー内閣(ディズレーリが内務相)のもとで選挙資格を下げて都市労働者に有権者が広がり、1884年第3回改正は自由党グラッドストン内閣のもとで実現し、農村労働者に広がった。労働者階級に選挙権を付与することによって、民主主義の実現を図るべきであるという思想は、産業革命期の政治思想家で「最大多数の最大幸福」を説いたベンサムや、ヴィクトリア時代のジョン=ステュアート=ミルなどの功利主義者によって理論づけられていた。しかし、イギリスでは19世紀中は財産制限の完全な廃止、つまり普通選挙は実現されなかった。

20世紀前半

:イギリスで普通選挙制が実現するのは、1918年の第4回選挙法改正の時で、そのとき21歳以上の青年男子と、30歳以上の女性に選挙権が認められた。また1928年の第5回選挙法改正で、21歳以上の男女と改正されて、完全な男女平等の普通選挙が実現された。 → 男性普通選挙  女性参政権

選挙法改正(第1回)

イギリス・グレイ内閣の1832年、選挙権の一部拡大と腐敗選挙区の廃止を実現した。

 1832年、ホイッグ党グレイ内閣のもとで行われたイギリス最初の選挙制度の改正。新たに選挙権を与えられたのは、都市では10ポンド以上の家屋の所有者または借家人、地方では10ポンド以上の土地保有者と長期借地人など。また、都市に多く議席が配分されるよう選挙区の区割りを変更し腐敗選挙区を無くした。その結果、有権者は16万から96万に増加したが、その多くは都市の中産階級であり、有権者の全人口に占める割合も、わずかに4.5%にすぎなかった。議員の被選挙権も改正されなかった。労働者階級の普通選挙を求める声はさらに強くなり、チャーティスト運動となる。

選挙法改正(第2回)

1867年、イギリスで選挙権が都市労働者などなどに拡大された。

 第2回選挙法改正は、1867年、保守党のダービー内閣の時にディズレーリの提案で行われた。(前年自由党のラッセル内閣でもグラッドストンが同様の提案をしたが、同党内の保守派の反対で総辞職していた。)この改正では、11の選挙区を廃止し、35の選挙区の定員を各1名とし、その余剰の議席を他の選挙区に配分した。選挙資格も一般に「戸主及び10ポンド間借人選挙権」といわれるように引き下げられたため、都市の労働者の殆どが有権者となり、中流の商工業者も選挙権を得て、有権者は約100万人以上増加した。

選挙法改正(第3回)

イギリスのグラッドストン内閣の1884年、農村労働者にも選挙権が拡大され、成年男性の多くが有権者となった。

 第3回選挙法改正は、1884年、自由党グラッドストン内閣で実施された。その結果、農村労働者の大部分が有権者となり、700万人のイギリス成人男性の中の約500万人が有権者となった。しかしまだ完全な普通選挙ではなく、女性参政権も認められていない。
 アイルランドではアイルランド国民党がこの選挙法改正で議席を伸ばした。グラッドストンは議会内でアイルランド国民党の支持が必要であったため、アイルランド自治法案を議会に提出することにし、3次にわたり提案したが、いずれも上院(貴族院)で阻まれ、成立しなかった。

選挙法改正(第4回)

イギリスで1918年に行われた、女性選挙権、普通選挙を実現した改正。

 第一次世界大戦中の1918年、ロイド=ジョージ挙国一致内閣(保守党・自由党・労働党の連立内閣)のとき、国民代表法が成立し、男性は21歳以上のものすべてに、女性は30歳以上に選挙権が認められた。男性については財産や地位にかかわりなく、すべてに選挙権が認められたので普通選挙の実現といえる。
 女性参政権が認められたことも重要であるが、女性の選挙権年齢は男性と平等ではなかったので完全なものではなかった。しかしこれよって、ほぼすべての労働者の参政権が実現したため、労働党の進出はめざましくなり、1924年には自由党との連立でマクドナルド労働党内閣を成立させ、さらに次第に自由党に代わって二大政党の一翼を担うこととなる。

選挙法改正(第5回)

イギリスで1928年に男女平等を実現した選挙法改正。

 1928年、ボールドウィン保守党内閣のもとで、21歳以上のすべての女性にも選挙権が認められ、イギリスで完全な男女平等選挙権が実現した。翌年実施された総選挙において、労働党が議席数で第一党となり、労働党単独内閣としてが成立し、党首マクドナルドが再び首相となった。これ以降、イギリスは保守党と労働党の二大政党制が確立した。
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