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ネッケル

18世紀末、フランス・ルイ16世のもとで財政改革にあたった。その罷免をきっかけに民衆蜂起が起こった。

 ルイ16世によって、1777年にテュルゴーに代わって財務総監督官に任命される。ネッケルはスイス人の銀行家。プロテスタントだったため総監の称号は与えられなかったが、今日の内務・大蔵・経済の各大臣に相当する権限を持っていた。アメリカ独立戦争の援助を増税でなく借入で行い、人気を得た。

初めて国家予算を公表

 ネッケルは、『国王への報告書』、つまりフランスの予算を公表した。それはフランス史上始めてであり、好評を得て、英語その他ににも翻訳された。彼は予算の均衡していることを示したが、それでも廷臣への手当が過大であること、アメリカへの援助支出が計上されず、臨時支出とされていたことから、自分達の手当を暴露された廷臣たち、いいかげんな予算書を公表して人気を博したと怒った財政官たちからの批判が強くなり、1781年5月辞任を余儀なくされた。

フランス革命の勃発

 その後、復帰して宮廷内での自由主義的な改革を進め、財政の立て直しにあたった。ルイ16世は、増税路線に踏みきり、特権身分に対する課税を承認させるため170年ぶりに三部会を開催、ネッケルは国庫の赤字について報告した。しかし、三部会で第三身分の動きが活発になり、国民議会が発足し、球戯場の誓いがなされると、ルイ16世は再びネッケルを罷免した。ネッケルの罷免がパリ民衆の国王への不満を爆発させ、1789年7月14日のバスティーユ牢獄襲撃の引き金となった。

Episode ネッケルの娘

 ネッケルの娘が、自由主義者として知られ、文学者でもあったスタール夫人である。彼女はナポレオンを批判したために迫害され、ドイツに亡命してロマン主義文学に傾倒し、それをフランスに伝え、自らフランスのロマン主義文学の先駆者となった。
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ノートの参照
第11章3節 イ.立憲君主政の成立