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球戯場の誓い/テニスコートの誓い

1789年6月、三部会の第三身分代表が憲法制定まで国民議会を解散しないことを誓ったこと。7月14日のバスティーユ牢獄襲撃から始まるフランス革命の前段となった。

 1789年5月にフランス国王ルイ16世が召集した三部会が開催されたが、議決方法をめぐって特権身分である第一身分と第二身分の代表と第三身分の代表の対立から、議事は進展せず、第三身分代表はシェイエスの提案で第三身分だけで国民議会とすることを決めた。

憲法制定まで国民議会を解散させないことを誓う

 ところが6月20日、国王ルイ16世は議場を国民議会が使用することを認めず閉鎖したため、第三身分の議員はジュ-ド-ポム(球戯場)に集まり、議員ムニエの主導により、熱狂のうちにほぼ満場一致で「憲法が制定され、かつ堅固な基盤の上に確立されるまでは議会を解散せず、状況に応じていかなる場所でも議会を開く」ことを誓った。
 6月23日、三部会にルイ16世が親臨。いくつかの保留事項以外の一般的利害に関する事項は頭数による投票とする、その他、租税負担の平等、個人の自由、出版の自由、農奴制の消滅などを宣言し、三部会の解散を要求したが、第三身分の議長バイイ、ミラボーらは無視、議場を動かず。国王は結局譲歩して特権二身分の第三身分への合流を勧告、三部会は消滅することとなった。その結果、7月9日に、憲法制定を任務とした憲法制定国民議会として正式に発足した。
 国王は国民議会を力で解散させようと軍隊を集め、宮廷内で自由主義的改革を進めようとしていたネッケルを罷免したことから、7月14日にバスティーユ牢獄襲撃の民衆蜂起が始まり、フランス革命へと展開していくこととなった。
ダヴィド 球戯場の誓い
ダヴィド 「球戯場の誓い」
図解 球戯場の誓い:上図はダヴィドが描いた1789年6月20日の「球戯場の誓い」の情況。1791年にダヴィドが国民議会の後援を受けて製作したもの。①中央で手を挙げて宣誓文を読み上げているのが議長のバイイ。②その下で座っている白い服の人物がシェイエス、③その右二人目で黄色い服で胸に手を当てているのがロベスピエール、④さらに二人目で黒い服を着て両足を踏ん張っているのがミラボー、⑤その右がバウナーヴ。<柴生瑞和編『図説フランス革命』河出書房新社>
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ノートの参照
第11章3節 イ.立憲君主政の成立