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三色旗

フランス革命のシンボルとされた旗。後にフランス国旗とされる。

 フランス革命の始まりを告げる、バスティーユ牢獄襲撃の翌日、その勝利によってパリの選挙人たちは市政を掌握し、バイイを市長に選出し、ラ=ファイエットを革命軍である国民衛兵(ガルド・ナショナル)の指揮官に任命した。ラ=ファイエットは、パリ市の色である赤と青のあいだに、国王をあらわす白を入れた三色の帽章を国民衛兵に与えた。その後三色旗が革命およびフランスの象徴となるが、これが新旧のフランスを結びつけることによって作られた点は注目される。ここには、この時期の世論とラ=ファイエットの立場とが同時に示されている。<河野健二『フランス革命小史』p.83などによる>

フランス国旗として定着

 三色旗はフランスではトリコロール(tricolore)と言われる。フランス革命で革命のシンボルとして広く用いられるようになり、国民公会は1794年2月15日に共和国の国旗とした。ナポレオン時代には三色旗がヨーロッパを駆けめぐった。1812年には竿側から青、白、赤の配列が確定した。
 ナポレオンが没落し王政復古となった1814年からは用いられなくなったが、1830年の七月革命で再び正式に国旗となった。1848年の二月革命では、七月王政を倒す主体となった労働者・パリ市民は赤旗を掲げて戦った(この時から赤旗は革命運動のシンボルとなった)ので、臨時政府に対して赤旗を国旗にするよう要求したが、ブルジョワ共和派のラマルティーヌが三色旗の維持を主張し、それが通った。ラマルティーヌは三色旗こそが「ヨーロッパを駆け巡った」旗であり、フランスの栄光と権威を示すものだと演説している。
 現在では青は自由を、白は平等を、赤は博愛を表す、という説明されることが多いが、三色に個別の意味はなく、まとめて自由・平等・博愛を意味するなどとも言われている。最初に採用したラファイエットの意図(王政と共和制を妥協させようとしたこと)とは違っているので、こじつけの域を出ないようだ。 → 現在のフランス共和国 
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ノートの参照
第11章3節 イ.立憲君主政の成立