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ボリビア(1) 独立と国境紛争

1825年、スペインから独立。シモン=ボリバルの名前を冠し国号とする。1879年に始まったチリとの太平洋戦争で太平洋岸を失う。

スペインからの独立

 南アメリカ中央部のアンデス山中で、かつてインカ帝国の一部であったところ。スペイン植民地時代はアルト・ペルー(高地ベルー)と言われていた。1545年にポトシ銀山が発見されて、重要な植民地とされた。南米では遅くまでスペイン副王領の拠点として残り、1825年にようやくシモン=ボリバルによって解放され、独立を達成し国号をボリバルにちなんでボリビアとした。また憲法上の首都は、同じく独立運動の指導者であったスクレ将軍の名からスクレと名付けられた。ただし、最大の都市はラパスで、議会と政府機関もラパスに置かれている。
ボリビア国旗 ボリビアの国旗 三色は、赤が独立戦争で流された血、黄色(金)が鉱物資源、緑が農産物を表している。中央の国章は、よく見るとボリビアの国土と資源が描かれており、背後から太陽が昇る山はポトシ銀山、動物はアルパカ、それに森林資源を表す木と農産物の小麦が描かれている。なお、楯の廻りに★が10個あるが、これは現在の9の州と、太平洋戦争で失われた海岸地方のリトラル州を意味する。ボリビアは依然として太平洋岸への願望が強いことが判る。

ペルーとの戦争

 北東で国境の接するペルーとは、かつて同じインカ帝国の領域で、またスペイン植民地時代にはペルー副王領だったので、互いに相手を併合しようという動きがあり、1836~39年にはボリビア=ペルー戦争が戦われた。さらに1879年からはチリとの国境問題が起こった。

もう一つの「太平洋戦争」

 ボリビアは現在は海岸に面していない内陸国だが、建国当時は太平洋に面していた。現在のチリ北部のアタカマ砂漠が広がる地方はボリビアとペルーでわけあっていた。その地方に産出する硝石(グアノ)は海鳥の糞がかたまったもので、肥料やガラスの原料として用いられ、盛んに海外に輸出されていた。
 その資源をめぐってチリが領有を主張して、ボリビア・ペルー連合軍との間に1879年から83年にかけて展開された戦争を太平洋戦争と言っている。また、硝石をめぐる戦争なので硝石戦争とも言う。ボリビアは軍事同盟を結んでいたペルーとともに戦ったが、敗れ、アタカマ地方をチリに割譲し、内陸国となってしまった。この太平洋戦争の後、ボリビアとペルーは国交断絶状態が続き、なんと両国の国交回復交渉が始まったのは、両国に左派政権のモラレス大統領とバチェレ大統領が就任した2006年のことであった。
 なお、ボリビアは、南西部で国境を接しているパラグアイとの間で、グランチャコ地方の領有をめぐってチャコ戦争を戦っている。チャコ戦争は1932~38年の長期にわたり、ボリビアとパラグアイは互いに消耗したあげく、最終的にはパラグアイ領となり、ボリビアは国土を縮小させた。
 この間、世界一の生産量を誇る錫、および新たに発見された油田などを握るアメリカ資本と結ぶ財閥勢力と、労働組合を基盤とした左派との対立が激化し、混乱を抑えるためと称する軍部が台頭するなど、政情不安が続いた。

ボリビア(2) 第二次世界大戦戦後のボリビア

1952年のボリビア革命でインディオの権利が認められたが、反動で64年かあ軍政となり、ゲバラが殺害された。1982年に民政に移管、2006年には左派でインディオ出身のモラレスが大統領となった。

ボリビア革命

 1952年に民族主義的革命運動党(MNR)が鉱山労働者などに支持され、クーデターで政権を獲得、民族主義的な革新政治が始まった。パス=エステンセロらを指導者とするボリビア革命は、男女普通選挙権の実施してインディオに選挙権と公民権を与え、大土地所有制度を改める農地改革法を制定、錫財閥の解体などを進めた。アメリカはボリビア革命の場合はそれを容認し、むしろ経済援助を重ね、南米大陸の中央に位置するボリビアの安定を図った。

ボリビアの軍事政権

 しかし、1964年に軍のクーデターが起こり、革命政権は倒され、軍政が布かれることとなった。それに対して、1966年にキューバ革命の指導者チェ=ゲバラがボリビアに潜入し、ボリビア民族解放軍を組織して軍事政権と戦った。しかしチェ=ゲバラは67年、政府軍党の戦闘で倒れた。その後も軍事政権内部の権力争いが続き、たびたび政権が交代したが、軍政のもとで債務が増大し、1970年代には他のラテンアメリカ諸国と同じように新自由主義経済政策が実行された。1980年にクーデターで権力を握ったメサ将軍はコカインなどの麻薬組織と手を結んでいた。そのような軍事政権に対する批判が強まり、ようやく1982年に軍政が終わり、非軍人が大統領に選出された。

コカ戦争とガス戦争

 コカは標高4000mというアンデス山地高地に住むインディオにとっては高山病の症状をいやす薬として飲むコカ茶の原料として栽培されてきた。今でもボリビアやペルーを訪れる観光客は高山病を防ぐためにコカ茶を飲む。ところがコカは化学精製すると麻薬のコカインとなる。そこで麻薬の密売組織が暗躍するようになった。インディオの農民は麻薬を作ろうとしてコカを栽培しているのでは内のだが、アメリカはコカインの撲滅には原料のコカの栽培をなくさなければならないと考え、アメリカ軍をボリビアに派遣してコカ畑を焼き払い、ヘリコプターで枯葉剤をまいた。それに対してボリビア国民は激しく抵抗した。1990年代のこの戦いは「コカ戦争」と呼ばれ、その抗議行動の先頭に立ったのがコカ栽培農民組合代表のモラレスだった。
 さらに親米政府は、天然ガスをきわめて安い価格でアメリカに輸出しようとした。それに対してモラレスは全国規模の反対デモを組織し、アメリカ資本によって貧しいボリビア国民が搾取されていると抗議した。2003年のこの「ガス戦争」は全土での暴動に広がり、ついに大統領はアメリカに亡命した。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.30-32>

左派政権の登場

 2006年には、ベネズエラチャベスブラジルのルーラ、アルゼンチンのキルチネル、ウルグアイのバスケスなど、一斉に左派政権が権力を握ったが、ボリビアにおいてもチャベスと同じく明確に反米を唱える社会主義運動党のエボ=モラレスが大統領に就任した。
 2006年の大統領選挙で当選したモラレスは、ボリビア史上最初の先住民インディオ出身の大統領となった。彼は就任演説で、「疎外され、さげすまれてきた我々の歴史を変える。不公正と不平等を終わらせる」と宣言した。さらにアイマラ族のモラレス大統領は、アイマラの遺跡に数万人の先住民集会を開き、伝統的な民族衣装で儀式を行い「植民地的な国家体制や新自由主義の経済体制を終わらせる」と宣言した。そして、天然ガスと石油産業を国有化し、農地を持たない農民に国有地や遊休地を譲る農地改革を実施、「新自由主義を葬るため」の五ヶ年計画に着手した。<伊藤千尋 同上書 p.23,32> → ラテンアメリカの現在

Episode アルパカセーター姿の大統領

 モラレス大統領は、就任以来、公的な場所では常にノーネクタイ、アルパカのセーターで通しているという。また中学校までしか学歴が無く、農民運動から大統領まで駆け上った人物である。そして何よりも、コカインを公認するとんでもない大統領、というイメージが作られているようだ。2008年の日本テレビ「ビートたけしの独裁国家で何が悪い」でも現代の独裁者として取り上げられたという。日本ではほとんど知られていないモラレスが知られるきっかけとなった番組だったが、残念ながら見逃した。どんな人物像が紹介されたのだろうか。一方的に独裁者と断じているのなら、モラレスは正当な投票で選出されたのであり、それはあたらないだろう。もし「コカイン密売組織と結んでいる」などというレッテルなら、それは虚像である。モラレスは農民のマテ茶用のコカ栽培を保護しているのであり、コカインの精製・販売は禁止している。
 世界史的に見れば、独裁者であるかどうかは問題では無く、コロンブス以来、500年の時を経て、インディオ出身の大統領がボリビアに誕生し、アルパカのセーターを着て演説していることが大事だ。