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ベルギー永世中立化

1869年、イギリスが主唱してプロイセン、フランスなどが承認した。

1830年に起こったオランダからのベルギーの独立運動は、31年にロンドン会議でベルギー王国として独立することで国際的に承認された。しかし、イギリスの対岸にありフランスとドイツ(当時はプロイセン)の間に位置するベルギーと、ウィーン体制下のヨーロッパ列強がどのような関係を結ぶか、大きな問題として残った。そこで、イギリスのパーマーストン外交がねばり強く交渉し、その主導権のもとで1839年にベルギーを永世中立国とする条約がイギリス、フランス、プロイセン、オーストリア、ロシアの5カ国で締結され、オランダも承認した。

イギリスのパーマーストン外交の成果

(引用)ベルギーを中立の独立国として誕生させたのは英国だった。というより、英国の敏腕の外相パーマストン子爵だった。ベルギーの海岸線は英国の国境だった。英国海軍がスペインの無敵艦隊を破って以来、英国最大の脅威となっていたフランスをウェリントンが負かしたのもベルギーの平野においてであった。それからというもの英国は、広大で、容易に縦断できるその地域を、ナポレオン失権後ウィーン会議の取り決めを通じて中立地帯とすることに決めた。そしてその他の強国と合議のうえ、この地域をオランダ王国に併合することにした。だが新教国に併合されることをきらい、また19世紀のヨーロッパを揺るがした国家主義を熱烈に信奉していたベルギー人は、1830年に反乱を起こし、これが口火となって国際間に奪い合いが始まった。オランダ人は保有する領土を手放すまいとして戦い、フランスはかつて支配したことのある地域を奪回しようとして戦争に介入した。ウィーン会議という万力で、ヨーロッパ弾圧に専念していた専制国家、ロシア、プロイセン、オーストリアは、どこかで反乱の烽火でも上がろうものなら、ただちに戦争を起こそうと構えていた。パーマストン子爵は、計略よろしく彼らを全部出し抜いてしまった。彼は一国に従属している地方というものは、周囲の国々にとって永遠に誘惑の種である以上、その地域は領土保全の決意の上に立つ独立国となってはじめて、安全な地帯として存続できると考えた。九年という年月をかけて、ときには柔軟に、ときには英国艦隊の威勢を借りて、彼は根気強くねばり通した。そしてついにすべての反対者を負かして、ベルギーを「独立の永世中立国家」として保障する国際条約を成立させたのである。1839年に、英国、フランス、ロシア、プロイセン、オーストリアが条約に調印した。<バーバラ・タックマン『八月の砲声』1962 山室まりや訳 ちくま学芸文庫 上 p.59-60>

補足 ベルギー中立化から学ぶ

 ベルギー中立は、第一次世界大戦と第二次世界大戦でいずれもドイツ軍によって破られてしまう。しかし、スイスとならんでベルギーの中立は独仏間の直接的戦闘行為を抑止する上で、一定の役割を果たした。翻って東アジアの近代を考えてみた場合、ややとっぴではあるが朝鮮半島の情況と比較することが可能なのではないだろうか。
 ベルギーは二度の大戦で中立を踏みにじられた結果、第一次大戦の後はロカルノ条約・国際連盟への加盟、第二次大戦の後はベネルクス三国としての結びつきを強め、ヨーロッパ統合に積極的に関るという道を選び、中立から地域統合へと転身した。その点では永世中立を守ったスイスとは異なる。スイスとは地理的条件が全く異なっていることから、やむを得ない選択であったろう。さて、近代のアジアにおいては、ロシア、中国、日本という軍事大国に囲まれた朝鮮半島を永世中立の独立国家とすることによって、戦争という愚を避けることは可能であったと考えることは出来ないだろうか。残念ながら、東アジアの近・現代史にはそのような発想はまったく無かった。そのため、日露戦争や日中戦争、朝鮮戦争はいぜれも不可避であったと即断してしまっている。その理解にたてば、これからもアジアの戦争は不可避である、従ってアメリカ軍の抑止力は必要だ、といった戦争不可避論の横行につながっていく。
 司馬史観といわる、ロシアの満州・朝鮮支配を許せば、日本も征服されるおそれがあった、だから日露戦争・日本の朝鮮植民地化は正しかったのだ、というチープな見解に対する反論として、世界史から歴史の多様性を柔軟に学ぶことの出来る例としてベルギー中立化を考えることができると思う。
 また将来、朝鮮の統一が実現する際には、統一朝鮮の中立と東アジア集団安全保障体制の構築とを同時にはかる必要がある。そのときはじめて「東アジア共同体」が現実のものとなろう。分断国家をそのままにして地域共同体があり得ないのは、ドイツ統一とEUの発展を見ても明らかなことである。さらにいえば日本自身も日米安保体制ではなく中立と地域的集団安全保障の道を選ぶことが、最も現実的になるかもしれない。少なくとも集団的自衛権の行使などという世界史に逆行する愚行は避けなければならない。
 ベルギーが中立から地域共同体へと転身した歩みは、アジア、そして日本を考える際にも十分、価値があるのではないだろうか。そのベルギーが厳しい言語戦争という内部の問題を抱えながら、ヨーロッパ統合の中でどのようになっていくのか、注目すべき点であり、学ぶことが多い事例でもある。
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ノートの参照
第12章1節 ウ.七月革命とイギリスの諸改革
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バーバラ・タックマン
『八月の砲声』
1962 山室まりや訳
ちくま学芸文庫