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ミドハト/ミドハト=パシャ

ミドハト=パシャ
ミドハト=パシャ(1822-1884)

オスマン帝国のタンジマート時代の改革派官僚。ミドハト憲法を立案し「憲法の父」と言われる。

ミドハト=パシャはオスマン帝国の危機の中で始まったタンジマートという近代化政策の中から登場し、さらにそれを推進した改革派の官僚、政治家であるが、エリートではなかった。ブルガリア生まれで30歳半ばになってフランス語を習得して留学の機会を得、1860年代にバルカン地方やバグダードの地方政治で功績をあげた。タンジマート前半期のエリート主体の改革――それは自由主義と立憲主義には否定的だった――に飽き足りない「新オスマン人」と言われた若手の官僚が、ミドハトの周辺に集まり、立憲政治の実現を目指すようになった。1872年に大宰相に任命されたが、その時はスルタンに警戒され、わずか3ヶ月で辞任した。

憲法の制定

 1876年にアブデュル=ハミト2世を新スルタンにすることに成功し、そのもとで再び大宰相に迎えられ、立憲制の即時導入を進め、その年12月23日に憲法(いわゆるミドハト憲法)を発布した。しかし翌年、露土戦争が始まると、専制政治の復活をめざしたスルタン、アブデュル=ハミト2世は「国益を害する人物をスルタンは国外追放にできる権利を持つ」という憲法の規定を使ってミドハトを追放してしまった。こうして有為な人物を失ったオスマン帝国は、スルタン専制国家に戻り「青年トルコ」の革命という迷走を経て崩壊する。1881年、ミドハト=パシャは流刑地のメッカ近郊で殺された。
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ノートの参照
第13章1節 ウ.オスマン帝国の改革