印刷 | 通常画面に戻る |

イリ条約

1871年のイリ事件を決着させ、1881年に清とロシアで締結された国境協定。神京性北部のイリ地方は清の領有が認められたが、ロシアは貿易上の利権を獲得した。

 ロシアと清の国境紛争であるイリ事件(1871年)を決着させた両国の条約。1881年2月にペテルブルクで調印されたのでペテルブルク条約とも言う。ロシアのイリ地方占拠を清朝は左宗棠の働きで1875年から77年にかけて排除した。しかし、1879年ロシアとのイリ返還を交渉した清朝の全権大使満州貴族嵩厚保がいったん領土を大幅に譲歩した条約を締結したため、激怒した光緒帝が批准を拒み、改めて曽紀沢(曽国藩の子)が交渉に当たり、ようやく1881年にイリ条約を成立させイリ地方は清に返還された。しかし清朝もロシアに多額の賠償金を支払い、新疆全土を市場としてロシアに経済的に開放することを認めた。<菊地秀明『ラストエンペラーと近代中国』中国の歴史10 2005 講談社 p.74>
 → ロシアの東アジアへの侵出  中ソ国境紛争
印 刷
印刷画面へ