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コーカンド=ハン国

16~19世紀、西トルキスタンのウズベク人の国家の一つ。1867年、ロシアに滅ぼされた。

18世紀の初頭、シャイバニ朝の支配下にあったフェルガナ地方のコーカンド(ホーカンドともいう。現地では現在はコカンと発音している)を中心に、ウズベク人のミン氏族出身のシャー=ルフがコーカンド=ハン国を建設し、1876年まで存続した。この結果、18世紀の西トルキスタンにはブハラ=ハン国ヒヴァ=ハン国、コーカンド=ハン国の三ハン国が存在し、領地をめぐって激しく争い、さらに北方からはカザフ人、キルギス、オイラートなどが、南方からはイラン人の侵出を受けて不安定な情勢が続いた。

ロシアへの併合

 クリミア戦争に敗北したロシアは、南下政策の鉾先を転じて、中央アジア進出を開始し、トルキスタン征服に乗り出した。1864年にコーカンド=ハン国に対する攻撃を開始し、その結果、コーカンド=ハン国は1867年についに滅亡し、肥沃なフェルガナ盆地はロシアの領有に帰した。同年、ロシアはタシケントに総督府を置いて植民地支配を開始した。
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ノートの参照
第13章3節 東アジアの激動