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大宛(フェルガナ)

中央アジアの現在のウズベキスタン東部の地域にあった遊牧民の国家。

中国名の大宛はフェルガナ地方にあたる。この地は中央アジアのアラル海に注ぐシル川上流の盆地で、イラン系遊牧民が生活していた。大宛はその中国名で、張騫は大月氏に行く途中に大宛に至り、帰国後の報告で大宛は馬の産地で、汗血馬という名馬がいると聞いた武帝は、将軍李広利を派遣して、それを獲ようとした。フェルガナはその後、遊牧国家の突厥に支配され、次第にトルコ化する。9世紀にはトルコ系のカラ=ハン朝がパミールの東側から侵出し、この地からさらに西トルキスタンにも支配を及ぼし、同時にイスラーム教を受容した。その後、カラ=キタイ、モンゴル帝国のチャガタイ=ハン国、ティムール帝国と諸王朝の支配を受けた後、ウズベク人が東方から侵入した。ティムール朝の一族でフェルガナの領主であったバーブルはそのためここを追われ、一時サマルカンドにはいるがそこもウズベク人に追われて、後にアフガニスタンのカーブルを経てインドに入りムガル帝国を建設することになる。
 ウズベク人はフェルガナのコーカンドに1710年にコーカンド=ハン国を樹立し、ブハラ=ハン国、ヒヴァ=ハン国と鼎立した。1867年、ロシアによって滅ぼされ、以後ロシアのトルキスタン総督府の支配を受ける殖民地となった。ソ連時代にはウズベク、キルギス、タジクの各共和国に分けられ、現在も複雑に国境線が引かれており、フェルガナの中心部はウズベキスタン共和国の東端に属している。

Episode 汗血馬

 汗血馬とは、一日よく千里を走り、ひとたび走れば血の汗を流す、という名馬のこと。匈奴との戦いで、質の高い馬を求めていた武帝は、張騫からその話を聞き、ぜひその馬を獲たいと考え、将軍李広利に指揮させた大軍を大宛に派遣し、一度は失敗したものの二度目の攻撃で大宛を降伏させ、良馬を得ることが出来たという。
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ノートの参照
第2章3節 キ.漢代の政治