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東京義塾

1907年、ベトナムで設立された、民族独立のための人材育成機関。

トンキン義塾。東京(トンキン)とはベトナム北部およびハノイのこと。フランスの植民地支配を受けていたベトナムで、ファン=ボイ=チャウが始めた日本への留学運動であるドンズー運動に呼応して、1907年、ベトナムに開設された学校。民族運動の指導者であるファン=チュー=チン(潘周楨)も設立に協力した。東京義塾はベトナム民族の伝統とヨーロッパの新しい学問を結びつけ、ベトナム人の自覚を高めるための教育機関であった。

ファン=チュー=チンの独立運動

 ファン=チュー=チン(1872~1926)はファン=ボイ=チャウとならぶベトナムの民族運動の指導者であり、協力者であったが、途中から運動方針は対立した。ファン=ボイ=チャウはあくまでフランス植民地支配を否定し、日本の力を借りて反仏闘争を実行しようというものであったが、同じように日本に直接渡って近代化の実際を見たファン=チュー=チンは、フランスとの直接対決は敗北するだけであると判断し、むしろフランスと協力しながらベトナムの近代化を進めようという、いわば体制内改革路線であった。彼は直接フランスに渡り、フランス政府の要人に植民地政策を転換するように説いて廻った。とろうとした手段はファン=ボイ=チャウとは異なるが、ベトナムの独立をめざす愛国者としては同じであり、現在も高く評価されている。

Episode 慶応義塾をヒントに

(引用)東京義塾は単なる学校ではなく、いままでヴェトナムではみられなかったもので、寄付を仰いで、学生から学費は徴収しなかった。文房具の供与もあった。組織として、教育班、宣伝班、著作班があって、教科書の編纂、出版も担当。独立運動の思想家も講義をしていた。東京義塾は明らかに福沢諭吉の慶応義塾にヒントを得てつくられていた。東京義塾に刺激されて、地方でも梅林義塾、玉川義塾などが開設された。東京義塾の影響力を重視した(フランスの)インドシナ総督府は1908年、東京義塾の閉鎖を命じ、グエン=クエン(阮権)ら責任者を逮捕した。<小倉貞男『物語ヴェトナム史』1997 中公新書 p.303>
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ノートの参照
第14章3節 カ.東南アジアでの民族運動の形成と挫折
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小倉貞男
『物語ヴェトナム史』
1997 中公新書