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第14章 帝国主義とアジアの民族運動

3 アジア諸国の変革と民族運動

Text p.289

ア.中国分割の危機 用語リストへ
 日清戦争 の敗北  欧米諸国が清朝領内での利権獲得競争に乗り出す。
・ロシアの中国大陸への進出
 a シベリア鉄道 の建設を進める。
 b 三国干渉 :c  ロシア・フランス・ドイツ  の三国が、日本に対して
   d 遼東半島 の清へ還付を要求。 → 95年 日本が還付(遼東半島還付条約)。
・1896年 その見返りとして、e 東清鉄道 の敷設権獲得。
   → 満州里から綏芬河に至る本線(ウラジヴォストークへの最短路線)
     ハルビンから旅順・大連に至る支線の建設を目指す(98年敷設権獲得)。
中国分割

列強によるB 中国分割 を風刺した漫画
左よりドイツ皇帝(ヴィルヘルム2世)、
フランス大統領(ルーベ)、
ロシア皇帝(ニコライ2世)、
日本の明治天皇、
アメリカ大統領(T=ローズヴェルト)、
イギリス国王(エドワード7世)

 中国分割 
・1898年 ドイツ人宣教師殺害事件を口実に列強が要求を強める。
 同年 a ドイツ 、b 膠州湾 をc 租借 (99年間)※。
  〃 d ロシア は遼東半島南部のe 旅順・大連 (25年間)、
  〃 f イギリス はg 威海衛 (25年間)と
            h 九竜半島 北部(99年間)、
 1899年 i フランス はj 広州湾 (99年間)をいずれもc 租借 
※国土の一部を一定期間借り、行政・立法・司法権をもち軍隊駐留させる権利。
・列強の勢力圏が定まる。
 ロシア:東北地方、ドイツ:山東地方、イギリス:長江流域と広東東部、
 フランス:広東西部と広西地方
 日本は福建省不割譲要約を締結し、k 福建 を勢力圏とする。

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 アメリカ の主張 中国分割に乗り遅れ、米西戦争後、中国市場への進出をはかる
・1899年 国務長官a ジョン=ヘイ  中国におけるb 門戸開放宣言 を発表。
  = c 門戸開放 ・d 機会均等 に翌年e 領土保全 の原則を加える。
  = 「ヘイの3原則」という。この提案により、列強の中国分割、一時勢いがゆるむ。
康有為

 康有為  

 戊戌の変法  日清戦争の敗北・中国分割の進行 → 知識人の危機感強まる。
・1898年6月 a 康有為 ※・b 梁啓超 らがc 光緒帝 を擁立し改革運動を開始。
   「d 変法自強 」をかかげ、日本の近代化にならった立憲君主政体の樹立をめざす。
  ※公羊学派の学者。『春秋公羊伝』を重視し、孔子を改革者としてとらえる。
  同  年9月 e 西太后 ら保守派がーデタを起こし改革派を弾圧。
  = f 戊戌の政変 :c 光緒帝 は幽閉され、a 康有為 ・b 梁啓超 らは日本に
    亡命し、改革は失敗する。
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イ.日露対立と列強 用語リストへ
 義和団事件 
・天津条約・北京条約でa キリスト教の布教 認められる。 → 強引な布教方法に民衆が反発する。
  → 地方官憲や民衆のb 仇教運動 が起こり、強化がはいあされる。
・c 義和団  山東地方から起こった宗教的武術集団、外国人排斥をとなえ民衆を指導。
 1900年 山東省へのドイツの侵略とキリスト教布教に反発して蜂起し、鉄道・教会・商社を襲う。
  → 「c 扶清滅洋 」を掲げ、北京の外国公使館を包囲。
  → 清朝政府も西太后らが義和団を支持、各国に宣戦布告。

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  → 8ヵ国※共同出兵:中心は日本・ロシア → 8月北京占領。
  ※d 日本・ロシア・イギリス・アメリカ・ドイツ・フランス・オーストリア・イタリア  
 北京議定書  (辛丑和約) 1901年 
・共同出兵8ヵ国に、ベルギー・オランダ・スペインを加えた11ヵ国と清朝で締結。
 = 賠償金の支払、北京へのa 外国軍隊の駐在 、北京周辺の防備撤廃などを認める。
  → 結果:b 中国の半植民地化 進む。
・c ロシア は東北地方から撤退せず居座る。→ 日本、イギリスが警戒。
 日英同盟  1902年に締結(第1次)。
・朝鮮をめぐり、日本とロシアの対立深まり、イギリスと日本が接近。
  内容:イギリスの清国における、日本の清国・朝鮮における特殊権益を相互に認める。
  → イギリス“a 光栄ある孤立 ”を解消。
  意味:b 極東におけるロシアの進出を警戒したイギリスが、日本と同盟して阻止しようとした。 
  背景:イギリスは、c 南アフリカ戦争 のため、極東に軍事力を割けなかった。
     アメリカもロシアのアジア進出を警戒、イギリスが日本と結ぶのを支援した。
・1905年 日露戦争後、第2次C 日英同盟 締結 → 対象範囲を拡大
 =d イギリスのインド、日本の朝鮮におけるそれぞれの優越権を認める 
解説: アジアにおけるイギリスと日本の帝国主義的分割協定
 日露戦争    
・1904年 開戦。日本軍、旅順攻略・奉天会戦で勝利。
  → 日本海海戦で日本海軍がロシアのバルチック艦隊を破る。
  → ロシア国内の混乱 =a ロシア第一次革命 勃発(14章1節)。
・1905年 b ポーツマス条約  米大統領c セオドア=ローズヴェルト の仲介で講和。
 内容
1.d 韓国 に対する指導・監督権。
2.e 遼東半島南部 ※の租借継承。
3.f 南満州の鉄道利権 ※※の獲得。
4.g 樺太(サハリン)南部 ※※※の領有権。
 ※租借期限は、1915年に99カ年に延長。日本ではこの地をh 関東州 といい、関東軍を置いた。
 ※※東清鉄道支線の長春・旅順口間の権利を得る。日本は1906年、南満州鉄道株式会社を設立した。
 ※※※北緯50°以南が日本領となった。他に日本は沿海州などの漁業権を獲得した。

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E 日露戦争の影響 列強の一つロシアが敗北し、国内でも専制政治が動揺したため、
・a アジア諸民族の民族的自覚を高める。 
  → ベトナムのb ドンズー(東遊)運動 、インドの国民会議派c カルカッタ大会四綱領 
    イランのd 立憲革命 、トルコのe 青年トルコ革命 など。
・日本とイギリスがロシアと接近し、それぞれ関係を修復する。
 背景:日本の満州方面への進出 → 日本とアメリカとの対立始まる。
    ドイツの中東への進出 → ロシアとイギリスが接近。
 1907年 f 日露協約 ・g 英露協商 成立。 →日本の大陸進出容易になる。
  → アメリカにおける▲h 日本人移民の排斥運動 起きる。
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ウ.日本の韓国併合 用語リストへ
 日清戦争 後の朝鮮
・清の敗北 → 下関条約で朝鮮の独立承認 →a 閔妃 らがロシアに接近。
  → ▲1895年 b 閔妃暗殺事件  日本公使の指示で朝鮮の宮中で王妃が殺害された。
・1897年 国号をc 大韓帝国 とし、d 高宗 は皇帝を名乗る。
  → 独立国であることを明確にする。
B 日本の軍事的拡張策
・日本の繊維産業の発展 → 欧米へa 生糸 輸出、中国にb 綿糸 輸出
  → c 低賃金 による低価格商品の生産→ d 国内市場 の未生育 
  → e 国外市場 の拡大を朝鮮半島の植民地化を求め、軍事的拡張政策を採る。
  → 朝鮮をめぐる日本とロシアの対立強まる。
 韓国の保護国化   a 日露戦争 開始と共に、日本が韓国への干渉を強める。
・日露戦争の開始後、および戦後に、三次にわたるb 日韓協約 を締結する。
・1904年8月(戦中) c 第1次日韓協約  日本政府派遣の顧問をおく。
 1905年9月 ポーツマス条約でロシアは日本の韓国に対する保護権を認める。(前出)
・1905年11月 d 第2次日韓協約  日露戦争の勝利により日本が強制。(乙巳保護条約)
  → 日本がe 統監府 (初代伊藤博文)を漢城に設置し、内政全般の権限と外交監督権をもつ。
 反日義兵闘争   日韓協約に対する民衆の反発強まる。
・1907年 a ハーグ密使事件 :韓国皇帝b 高宗 高宗が、
      第2回c ハーグ万国平和会議 に密使を派遣、日本支配の不当性を訴える。
 同  年 d 第3次日韓協約  韓国の内政すべてを統監が指導する。韓国軍を解散させる。
 同  年 朝鮮民衆の武装反日闘争起こる。 ← 軍隊の解散に反発。
・1909年 e 安重根 、ハルビン駅頭で初代統監伊藤博文を暗殺。
 韓国併合 
 1910 年8月 b 韓国併合条約 締結。
 朝鮮全体が、1945年8月までc 日本の植民地支配 をうける。
・日本、d 朝鮮総督府 ※を京城(漢城を改称)に置いて、憲兵による 武断政治 を行う。
  ※総督は、天皇直属で陸海軍の大将が任命される。初代総督寺内正毅大将。
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エ.辛亥革命 用語リストへ
 光緒新政  義和団事件→ 半植民地化の進行→ 清朝政府の改革の必要。
・宮廷主導の近代化政策
 1905年 a 科挙 を廃止。立憲準備に踏み切る。
 1908年 b 憲法大綱 を発表、8年後のc 国会開設 を公約。
・西洋式軍隊の育成 d 新軍 (新建陸軍の略。1895年創設。袁世凱が掌握。)
・e 民族資本家 の成長 → 外国資本の進出に対するf 利権回収運動 を進める
   → 国会の即時開会を求める。
・g 華僑 、留学生の運動 → 清朝打倒、漢民族の主権国家建設の要求強まる。

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孫文

B 孫文  

 孫文 の革命運動
・1894年 a 興中会 をハワイで設立。
・1905年 b 中国同盟会 を東京で結成。
  = a 興中会 光復会章炳麟ら)・華興会黄興ら)の三団体が団結。
・c 三民主義 を提唱:d 民族の独立 ・e 民権の伸張 ・f 民生の安定 
  → 後の辛亥革命、中華民国の指導理念となる。
 g 四大綱領 :駆除韃虜(清朝支配を脱すること)、恢復中華、創立民国、平均地権。
 機関誌 『民報』を発行。
 辛亥革命 
・1910年 英・米・独・仏の4ヶ国銀行によるa 四国借款団 結成。
 1911年 清朝政府、責任内閣制をとる。→ 満州人貴族を中心として構成し、不満起きる。
       さらに、外国借款によるb 鉄道国有化政策 を打ち出す。
  → 革命派・立憲派ともに反対運動起こる。
  同  年 c 四川暴動 がおこり、全国に暴動が拡大。
・d 1911 年10月10日 e 武昌蜂起 = 革命勃発(f 第一革命 )。
  → 全国に波及し、14省が次々と清朝離脱を宣言。
 1912年1月 g 中華民国 建国:首都南京 孫文はh 臨時大総統 となる。
・清朝政府 新軍のi 北洋軍 をにぎるj 袁世凱 に軍・政の全権を付与する。
      → 内閣を組織、革命鎮圧に向かう。
 1912年2月 革命政府と妥協、k 宣統帝溥儀 を退位させる。清朝の滅亡。
・意義:l 中国の秦始皇帝以来の皇帝専制政治が終わりアジアで最初の共和政国家となる。 
・中国を構成する民族: 漢・満・蒙古(モンゴル)・蔵(チベット)・回(ウイグル)。
 袁世凱 の独裁
・1912年3月 臨時大総統となり北京遷都。a 臨時約法 を公布。
・革命運動の分裂
 中国同盟会分裂 → 孫文らb 国民党 を組織( 宋教仁 らが参加)。→13年選挙で大勝。
・1913年 国民党の挙兵(c 第二革命 ) → 袁世凱政府によって弾圧さる。
  → 袁世凱 正式に 大総統 となる。
    孫文は日本に亡命、d 中華革命党 を組織。

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・1915年 袁世凱、みずから皇帝になろうとし、帝政復活宣言。
  → 帝政反対運動、雲南で起こる(e 第三革命 )。
  → 翌16年 帝政復活宣言取消の後死去。
 軍閥 政権の交替。 に帝国主義諸国の支援を受ける。
・a 袁世凱 の死後、北洋軍が分裂。
  → b 安徽派 の段祺瑞、c 直隷派 の曹コン・呉佩孚、d 奉天派 の張作霖が抗争。
・孫文は、1917年に 広東軍政府 を組織し、軍閥に対抗する。
・第1次世界大戦下、民族資本の成長するなか、政情不安が続き、日本の侵出が積極化する。
  → 1928年、国民革命軍の北伐完了まで政情不安続く。
・辛亥革命と周辺民族の動き
 モンゴル  1911年 辛亥革命の時、外モンゴルで独立宣言。
 ・1914年 中華民国とモンゴル、ロシアの仲介により国境協定(キャフタ協定)
   → 外モンゴルは自治を認められるが、a 内モンゴル は中華民国領とされる。
 ・ロシア革命の影響を受け、 モンゴル人民革命党 が成立。
  1921年 b モンゴル革命  人民革命党のc チョイバルサン ら、
         ソヴィエト政府の赤軍の支援により、革命政府を樹立。
  1924年 d モンゴル人民共和国 成立。
 チベット 
 ・1913年 a ダライ=ラマ13世 が亡命から戻り、独立宣言。
   → 軍隊の創設、僧院改革、官僚機構の整備を進め、独立国家の形態を整える。
  1914年 b イギリス がチベット承認(シムラ条約)。
   → 1956年に中華人民共和国の自治区として併合されるまで、独立国家として存続。
 ・新疆(ウイグル人居住地)は中華民国にとどまる。
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オ.インドでの民族運動の形成 用語リストへ
 イギリスの植民地支配 
・a 鉄道の建設 など交通通信手段を整備し、内陸のコーヒー、茶などのプランテーション
 や農村のb 綿花 などの工業原料、商業作物の栽培を勧める。
  → 採算の合わない分はインドの負担とされる。
・インド人に対する差別が強まる。 → インド人側の民族としての自覚も始まる。
考え方: イギリスのインド植民地支配
B インド人の民族的自覚
・19世紀のヒンドゥー教改革運動
  イギリスによる近代化の強制 → インド人の民族的自覚と共にヒンドゥー教社会の改革運動起こる。
 ▲c ラーム=モーハン=ローイ ら、 サティー (寡婦の殉死)禁止などを呼びかける。
補足: その他のヒンドゥー教改革運動
・1883年 バネルジーら、 全インド国民協議会 を結成。
 背景:イギリス側にインド人エリートを利用する動きが始まる。
・1885年 a インド国民会議 をボンベイで開催。インド人の意見を諮問する機関として始まる。
  = はじめイギリスに協調的な知識人・地主・商人が中心。▲ナオロジーらが指導。
  → c 国民会議派 形成。次第に反英的になる。
  → 多くはb ヒンドゥー教徒 であったので イスラーム教徒 の反発強まる。
補足: イギリス統治下のインドのイスラーム教徒

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C 反英闘争の激化
・インド総督a カーゾン (在任1899~1905)の植民地政策
 1905年 b ベンガル分割令 :イスラーム教とヒンドゥー教の分離を策す。
  → 反英闘争が激化。日露戦争の影響。
・1906年 国民会議、c カルカッタ大会四綱領 を決議。指導者d ティラク ら。
      = e 英貨排斥 ・f スワデーシ ※・g スワラージ ※※・h 民族教育 
      ※と※※の意味 i ※国産品愛用  ※※自治獲得 
  → イギリス、j 全インド=ムスリム連盟 の結成(1906)を支援、国民会議派に対抗。
補足: 運動の分裂
・イギリスの懐柔策 インド人を一部、行政組織に参加させる。
 1911年 イギリス、b ベンガル分割令 を撤回。首都をカルカッタからデリーに移す。
・第1次世界大戦後、インドの反英民族運動ますます激しくなる。
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カ.東南アジアでの民族運動とその挫折 用語リストへ
 インドネシア  a オランダ の植民地支配にたいする抵抗、次第に強まる。

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▲1908年 民族運動の組織、b ブディ=ウトモ 結成(ジャワ語で「最高の英知」の意味)。
・1911年 c サレカット=イスラム(イスラーム同盟) 結成。
  = 中国の辛亥革命の影響を受けた、商人・知識人を中心とした民族主義運動団体。
  → 1918~20年に運動高揚する。
 フィリピン 革命 19世紀後半、スペインからのa フィリピン独立運動 激しくなる。
・1892年 b ホセ=リサール   フィリピン民族同盟 結成。捕らえられ銃殺される。
・革命始まる。
 1896年 秘密結社 カティプーナン の蜂起。
 1897年 c アギナルド 、革命政府大統領となる。 → スペインに敗れ、亡命。
・スペイン、アメリカとの戦い
 1898年 d 米西戦争 勃発。 フィリピン共和国 の独立を宣言、アメリカを支援。
 1899年 アメリカ、独立を認めず、e フィリピン=アメリカ戦争 勃発。
  → 1902年 革命軍敗れ、アメリカの統治となる。アメリカからの独立運動、継続へ。
 ベトナム  1883年以来 a フランスの保護国 として支配を受ける。
・19世紀末からb ベトナム民族運動 が始まる。
・1904年 c ファン=ボイ=チャウ ら、 維新会 を結成。日本に援助をもとめたが失敗。

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・1905年 d ドンズー(東遊)運動 を開始:
    意味: 知識人が日本に留学し新しい技術の獲得をめざす。 
  → フランス、日本に取り締まりを要求(1907年 日仏協約 )。
    日本政府、留学生を国外追放にする。 → 1908年 蜂起失敗。
    ファン=チュー=チンらはハノイに 東京義塾 設立。文化運動を展開。
 1912年 辛亥革命の影響を受け、反仏秘密結社e ベトナム光復会 、広東で結成さる。
  → 武力革命をめざすも、弾圧され衰退。
・第一次世界大戦後も植民地支配が続き、民族自決が否定される。
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キ.西アジアの民族運動と立憲運動 用語リストへ
 パン=イスラーム主義 
19世紀末、イラン人のa アフガーニー が提唱する。
・背景 ヨーロッパ諸国の西アジアへの侵出 → オスマン帝国領の分割競争の激化(東方問題)
 主張 b 西アジアの民衆に民族の自覚を促し、イスラーム教徒としての連帯を呼びかける。 
・エジプトのc ウラービー運動 、イランのd タバコ=ボイコット運動 などに影響する。
  → ▲エジプトでは ムハンマド=アブドゥフ のイスラーム改革運動につながる。 
 オスマン帝国(トルコ) 
・1878年 アブデュル=ハミト2世、憲法を停止。a パン=イスラーム主義 政策での政権維持を図る。
・1880年代末 スルタンの専制政治に反対するb 青年トルコ 結成。中心がc 統一と進歩委員会 
  = 民族資本家の子弟が多く参加。1889年に首都イスタンブルに進軍。
・1908年 d 青年トルコ革命  :ミドハト憲法の復活をスルタンに約束させ、政権を握る。
  = ▲ エンヴェル=パシャ が指導。パン=オスマン主義を唱え、国家統一をめざす。
  → 外国の援助で近代化を推進。内閣が次第に独裁化し、議会制は形骸化し、国民の支持を失う。
・影響:混乱に乗じてブルガリアは独立。オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合(前節参照)
・帝国主義列強の領土侵略
 1911年 e イタリア=トルコ戦争  北アフリカのトリポリ・キレナイカを奪われる。
 1912年 f 第1次バルカン戦争  イスタンブル周辺を除くバルカン半島の領土を喪失。
・▲青年トルコ政権の下で、オスマン帝国のスルタン政治は形骸化したが、1922年まで続く。
  → トルコ人以外のギリシア人、アルメニア人などを弾圧し、次第に パン=トルコ主義 に傾く。
 カージャール朝イラン   英露の侵略とそれに屈服している国王に対して不満高まる。
・1891年 イランの革命家a アフガーニー がよびかけb タバコ=ボイコット運動 
  → 国王がイギリス資本に利権を売り渡したのに抗議し、撤回させる。
・1906年 c 立憲革命 が成功する。仮憲法を制定、国民議会開設。← 日露戦争でのロシアの敗北。
  → イギリス・ロシアの干渉強まる。
・1907年 d 英露協商 でロシアが北部、イギリスが東南部の支配することを相互承認。(前出)
・1911年 ロシアが軍事介入し、議会を閉鎖。立憲革命挫折する。
・第1次世界大戦後の、オスマン帝国・カージャール朝イランの崩壊
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ア.中国分割の危機
イ.日露対立と列強
ウ.日本の韓国併合
エ.辛亥革命
オ.インドでの民族運動の形成
カ.東南アジアでの民族運動とその挫折
キ.西アジアの民族運動と立憲運動

目 次

序章 先史の世界

1章 オリエントと地中海世界

2章 アジア・アメリカの文明

3章 東アジア世界

4章 内陸アジア世界

5章 イスラーム世界

6章 ヨーロッパ世界の形成

7章 諸地域世界の交流

8章 アジア諸地域の繁栄

9章 近代ヨーロッパの成立

10章 ヨーロッパ主権国家体制

11章 欧米近代社会の形成

12章 欧米国民国家の形成

13章 アジア諸地域の動揺

14章 帝国主義と民族運動

15章 二つの世界大戦

16章 冷戦と第三世界の自立

17章 現代の世界