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イギリスの金本位制停止

世界恐慌の進行中、1931年9月、イギリスのマクドナルド挙国一致内閣が決定した。

 マクドナルド挙国一致内閣は、失業手当削減や公務員の減俸などの緊縮と、増税による収支の均衡を図って、ニューヨーク及びパリからの信用を供与を得た。しかし、それでもポンドに対する不安はますます高まり、金流出の勢いは一層激しくなった。
 イギリスの金流出の真の原因は、世界恐慌が波及したドイツからの賠償金がストップすると、債務が急増、国際収支が悪化したことである。このようなイギリスの金融不安が強まると、イギリスの通貨であるポンドが売られ、その価値が急落した。金本位制と言うことは、ポンドをいつでも金に換えられると言うことなので、ポンドが売られることによってイギリスの金が流出することを意味していた。
 そこで、イングランド銀行もついに金本位制を放棄せざるを得なくなり、マクドナルド挙国一致内閣は、1931年9月21日、金本位制を停止する律法を可決した。これは、19世紀初め以来の「国際金本位制=ポンド体制」が崩壊したことを意味しており、金本位制に代わって管理通貨制度に切り替えたことになる。<大野真弓編『イギリス史』1965 旧版世界各国史 山川出版社 p.304>

国際金本位制からの転換

 イギリスと経済的関係の強い諸国でも金本位制は維持できなくなり、ポルトガル・デンマーク・スウェーデンなどが相次いで金本位制の停止(または金輸出禁止)に踏み切った。さらに1933年3月、F=ローズヴェルト大統領もアメリカ合衆国も金本位制停止に踏み切り、ここに世界の金本位制は崩壊し、管理通貨制度に移行することとなった。

イギリスの保護主義への転換

 金本位制の停止によってポンドの価値は1ポンドは4.86ドルから3.40ドルに下落(約20%のポンド安)したので、ポンド切り下げとなり、輸出産業にとっては有利となったためある程度の効果はあった。翌1932年2月に保護関税法(輸入関税法)を導入して1840年代末以来、一貫して維持してきた自由貿易主義をやめ、保護関税政策に転換した。そして、金本位制と自由貿易体制という従来の原則を放棄したイギリスは、それに代わる世界経済への新たな関わりとして、イギリスとの経済関係の深い自治領やその他の国々と結びつきついて経済圏(ブロック経済)を構築する方策をめざし、カナダのオタワで連邦経済会議を開催する。
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ノートの参照
第15章4節 ア.世界恐慌とその影響