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保護関税法

1932年、世界恐慌対応策としてイギリスのマクドナルド挙国一致内閣が自由貿易から保護貿易への転換を打ち出した政策。

 世界恐慌が進行する中、成立したイギリスのマクドナルド挙国一致内閣は、1931年9月の金本位制の停止(離脱)に続いて、1932年2月に保護関税法を成立させた。この法は輸入関税法とも言われ、あらゆる輸入品に10%の関税を課すものであり、さらに輸入税諮問委員会の勧告によって最大33%までの課税を可能にする、というものであった。この法案は、イギリスの1840年代から続いた自由貿易主義を大きく転換するものであったので、マクドナルド内閣内にも反対が多かったが、保守党指導者で大蔵大臣のネヴィル=チェンバレンが主導し、議会での可決にまで至った。  保護貿易主義=保護関税政策は、自由党の自由貿易主義に対するイギリス保守党の年来の主張であり、特に20世紀に入るとバーミンガムの金属工業はアメリカ・ドイツの急速な発達に後れを取り、国際競争力を低下させていたので、保護関税を強く望んでいた。バーミンガム出身のジョゼフ=チェンバレンは関税改革同盟を結成し、「関税改革で全員雇用を!」と労働者層にも訴えた。世界恐慌という局面でイギリスは保守党の主張が実現し、国内産業を守るという内向きの政策に転換たのだった。<川北稔・木畑洋一編『イギリスの歴史 帝国=コモンウェルスのあゆみ』2000 有斐閣アルマ p.156>

Episode チェンバレン一家の宿願

(引用)この法案を議会に提出したネヴィル=チェンバレン蔵相は、彼の父ジョゼフに言及し、その構想に由来する提案が、その息子の一人の面前で、他の息子の口から提出されるのを、もし彼が見ることができたならば、彼の失望落胆はいかほどいやされたであろう、と述べて万雷の拍手を浴びた。ネヴィルの兄オースティンは議席から出て弟に握手した。かくてイギリスは1840年代以来90年の歴史をもつ自由貿易政策に決別したのである。<大野真弓編『イギリス史』1965 旧版世界各国史 山川出版社 p.306>
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第15章4節 ア.世界恐慌とその影響