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ニュルンベルク法

1935年、ナチス=ドイツで制定されたユダヤ人の公民権を奪う人種差別法。

 1935年9月、ナチス=ドイツで制定された、二つのユダヤ人排斥政策の立法。一つは「ドイツ公民法(国籍法)」で、「ドイツ国公民とはドイツ人、またはその行動によってドイツ民族と帝国に忠実に尽す意志と能力を持つことを示した人種上同し血統に属するもの」とされたため、非ドイツ人の公民権は奪われた。 → ユダヤ人
 もう一つの法律は、「ドイツ人の血の純潔を維持する」ために発布されたので、ユダヤ人(一人でもユダヤ人の祖父母を持つ者をも合めて)と、ドイツ人との結婚を禁止した。同法に違反する結婚は、結婚によらない性関係と同じく、重労働によって罰せられた。
 ユダヤ人は公旗を掲げたり、あるいは彼らの団体旗を見せたりすることはいかなる場合ても認められなかくなり、公共的な場所(庭園・劇場・プールなど)への出入りを禁止され、それまで公職に就くことが許されていたユダヤ系旧軍人も追放となった。<ノイマン『ビヒモス』P.103、ダヴィド『ヒトラーとナチズム』P.129-130などから要約>

ユダヤ人の追放の始まり

(引用)ドイツ国からユダヤ人を追放することは、1935年9月15日の国籍法によってはじまった。それは「国籍者」とドイツ国公民との区別を規定したものであった。国籍者とはドイツ帝国の防衛団体に所属するものをいい、「ドイツ国公民とはドイツ人、またはその行動によってドイツ民族と帝国に忠実に尽す意志と能力を持つことを示した人種上同し血統に属するもの」とされた。公民権は公民章を与えられることによって獲得され、公民のみが政治上の諸権利を持った。1935年11月14日の行政令は、ドイツ人または人種上それと同じ血統のもので、選挙権をもつが、あるいは帝国内務大巨によって公民権を与えられたものは、証章がなくてもドイツ国公民となした。この公民権法は、まだ残っていたユダヤ人官吏のすぺてを追放した。この処置は、官吏、自由職業およびすべての文化的分野から非アーリアン人種を迫放することを目的とした一連の立法措置の最後のものであった。最初のものは「官吏職整備」を目的として1933年4月7日に発布された法律で、それによれぱ、ユダヤ入は、退役軍人か、その両親か息子が第一次大戦で戦死しているものか、あるいは1914年8月にすてに官吏に採用されていたものだけがその職にとどまることがてきた。しかし、1938年末まてには、ユダヤ人は官吏職および自由職業から完全に排除されており、ユダヤ人の経済的地位の破壊は強力に始まろうとしていたのてある。<ノイマン『ビヒモス』P.105>

ユダヤ人との結婚禁止

(引用)反セム族に関する諸法律は、市民としてのユダヤ入の立場に影響を及ぼしている。1935年9月15日のいわゆるニュルンベルクの法律は、「ドイツ人の血の純潔を維持する」ために発布されたのであるが、ユダヤ人(一人でもユダヤ人の祖父母を持つ者をも合めて)と、ドイツ人のドイツ国公民「あるいは人種的にそれと同じ血を持った」ドイツ国公民との結婚を禁止した。一人またはそれ以上のユダヤ人祖父母を持つ非アーリアン人同志の結婚は、帝国内務大巨および総統代理の同意によってのみ許可された。同法に違反する結婚は、結婚によらない性関係と同しく、重労働によって罰せられた。ユダヤ入は公旗を掲げたり、あるいは彼らの団体旗を見せたりすることはいかなる場合ても認められなかった。<ノイマン『ビヒモス』P.103>

ユダヤ人の市民権喪失

(引用)迫害の第二波は1935年、いわゆるニュルンベルク法の制定とともに始まった。ユダヤ人はすべて市民権を失い、ドイツ領内に居住を許されている外国人という身分に転落した。それだけでなく、ユダヤ人は公共的な場所(庭園・劇場・プールなど)への出入りを禁止され、それまで公職に就くことだ許されていたユダヤ系旧軍人も追放となった。1938年までは、実際に逮捕される数は少なく、2万人をこさなかった。むしろ国外に退去することが奨励されていた。<ダヴィド『ヒトラーとナチズム』P.129-130>