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昭和天皇

第二次世界大戦時の日本の天皇。帝国憲法では国家元首。戦後の訴追を免れ、新憲法では国家の象徴とされる。

 天皇は大日本帝国憲法のもとでは国家主権者(元首)であり、陸海軍の統帥者(軍隊の指揮権の最終責任者)であった。実際の天皇は、機関として存在したに過ぎない(ということを学術的に論じた「天皇機関説」でさえ、戦前には不敬学説として葬り去られた)のであり、実際の国家統治は内閣が行い、戦争指導は軍部が行っていた。軍部はしばしば統帥権は独立して天皇にあり、天皇の命令で軍部は動くのであり、内閣の言うことを聞かないという理屈で戦争への道を突っ走ってきた。

天皇の戦争責任

 昭和天皇は開戦や終戦の経緯でも明らかなように、決定的な発言をしている。日本敗戦後、当然内外に天皇の戦争責任の追求がなされると考えられていた。しかし、終戦直後の9月27日には自ら連合国軍最高司令部(GHQ)本部にマッカーサーを訪問、マッカーサーは天皇の率直な態度に天皇免責に傾き、極東国際軍事裁判(東京裁判)でも証人喚問さえされなかった。

人間宣言と象徴天皇へ

 1946年1月1日には「天皇の人間宣言」が出され、「日本国憲法」では象徴として位置づけられることとなった。
(引用)天皇制の保存は非常に重大な意義があった。それは巧みに処理された。最初に天皇の方からマク・アーサー元帥を訪問したのであって、マク・アーサー元帥が天皇を訪問したのではない。そしてこのことは、日本人にとっては、西欧人には理解しがたい大きな効果を収めた実物教育であった。天皇に神性を否認するようにという勧告が行われた時に、天皇は、初めからもってもいないものを捨てろと言われても迷惑する、と言って異議を唱えたと伝えられている。天皇は、日本人は天皇を、西欧人が考えるような意味での神とは考えていない、と言った。正にその通りであった。しかし、マク・アーサー司令部は天皇に向かって、西欧人は天皇は今でもあいかわらず神性を主張していると考えている、そしてそのことが日本の国際的評判を悪くしている、と説いた。そこで天皇は、迷惑を忍んで、神性否定の声明を行うことを承諾した。天皇は元旦に声明を行なった。そして彼のメッセージに対する世界各国の新聞論評を、残らず翻訳して見せてほしいと依頼した。それらの論評を読んだ後で、天皇はマク・アーサー司令部にメッセージを送り、満足の旨を述べた。明らかに外国人はそれ以前には理解していなかったのである。天皇は声明を行なってよかったと思った。<ルース=ベネディクト/長谷川松治訳『菊と刀―日本文化の型』1946 社会思想社 p.359>
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ノートの参照
第16章1節 ア.戦後の国際政治・経済秩序
書籍案内

ルース=ベネディクト/長谷川松治
『菊と刀―日本文化の型』
1946 社会思想社1972刊
本書は現在、講談社学術文庫、光文社古典新訳文庫でも読むことができます。