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連合国軍最高司令部/GHQ

第二次世界大戦後に日本を占領した連合国軍の最高司令部。略称がGHQ。1945~52年まで日本を占領統治した。

 第二次世界大戦後の1945年から1852年まで、日本を占領し、統治にあたった連合国の機関である。45年の8月14日、日本が降伏すると同時に連合国の同意の下にアメリカのマッカーサー元帥が最高司令官に任命された。一般にGHQ(General Headquarters)という。正確には、SCAP(Supreme Commander for the Allied Powers =連合国軍最高司令部)が略称。ポツダム宣言にもとづいて戦後日本を占領統治する機関であり、46年に出来た連合国の政策決定機関である極東委員会の下にあり、米英ソ中からなる対日理事会に諮問することが定められていたが、実質的にはGHQはアメリカ単独で組織され、アメリカの意向に添った政策が実施された。冷戦時代にはいると極東委員会、対日理事会はソ連が反発したため機能しなくなった。
 GHQには参謀部の他に民政局など多数の部局を持ち日本の民主化をすすめる改革の立案にあたった。形式はGHQによる間接統治であったが、その権限は強く、日本政府はその指示によって民主化政策の実施にあたった。

ドイツ占領との相違点

 同じく連合国によって占領されたドイツと日本であるが、その違いもある。
  1. 日本本土は分割されることなく(計画には分割統治も含まれていたが実施されなかった)GHQの占領支配がなされたこと。ただし、沖縄は米軍の軍政下におかれ、南千島4島はソ連に占領され、ともに51年後も日本の主権が及ばなかったことを考えれば、日本もまた「分割統治」されたと言える。
  2. ドイツではドイツ政府は解体させられたが、日本では日本政府の存在が認められ、GHQの間接統治とされた。
  3. ドイツではナチスは徹底的に排除され、その後もドイツ人自身の手で追及が行われたが、日本では戦前の天皇制は象徴という形に変わったが存続し、日本人自身による戦犯の追及は行われなかった。

日本占領政策の転換と終結

 連合国軍最高司令部(GHQ)による日本占領の基本方針は、ポツダム宣言の原則に掲げられた、日本軍の解体による非軍国主義化と、日本の民主化であった。特に民主化政策としては、経済制度、土地制度、教育などの分野に及んで進められた。その帰結としてGHQは平和的、民主的な憲法の制定を働きかけ、それを受けた日本側が議会の審議を経て日本国憲法が制定され1947年5月に施行された。日本国憲法は、国民主権・基本的人権とともに平和主義を三代原則の一つに掲げ、第9条において戦争の放棄を規定した。
 しかし、同時に世界の情勢は、きびしい冷戦の時代に突入していた。とくにアジアにおいては1949年に中華人民共和国が成立し、さらに翌年朝鮮戦争が勃発すると、アメリカは共産主義の脅威に対抗することをかかげ、日本占領政策を平和国家建設から、反共同盟の一員に組み込むことに転換させた。すでに日本の共産主義運動や労働運動に対する弾圧、いわゆるレッドパージや、言論に対する検閲などが強化され、言論や集会の自由の制限がなされていたが、1950年に日本の再軍備に踏み切り、警察予備隊の設置を吉田茂首相に指示した。さらに翌51年にソ連などの共産圏諸国や中国、インドなどアジア諸国の反対を無視して1951年サンフランシスコ講和会議を開催して9月8日、サンフランシスコ平和条約を成立させて日本の主権回復を承認し、同時に日米安全保障条約を締結して、アメリカを中心とした反共軍事同盟に組み込まれることとなった。その結果、サンフランシスコ平和条約条約の発効にともなって1952年4月28日に占領は終了した。
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第16章1節 イ.ヨーロッパの東・西分断