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極東国際軍事裁判所

第二次世界大戦後、連合国が東京に設置した日本の戦争犯罪を裁く裁判所。

 ポツダム宣言にもとづき、連合国11ヵ国の裁判官によって構成され、日本の戦争犯罪を裁くために連合国軍最高司令部に属する形で設けられた国際裁判所。1946年5月から東京市ヶ谷の旧陸軍省で開廷、48年11月に結審した。満州事変以来の日本の軍事行動は侵略戦争であると断定され、国家指導者は平和に対する罪が適用されるとして、東条英機以下7名が絞首刑、16名が終身禁固という判決であった。ここで国家指導者として戦争犯罪に問われたのがいわゆるA級戦犯である。日本の最高責任者として昭和天皇を証人喚問する動きもあったが、結局実現せず、天皇の戦争責任は不問に付された。
 なお、B級(通例の戦争犯罪)、C級(俘虜虐待など)戦犯の裁判は日本では横浜で開設されたほか、海外の旧日本軍占領地で約1000名、ソ連では約3000名が処刑されたという。しかし中国人民解放軍は日本人戦犯を一人も処刑せず、改悛させて日本に送還した。<竹前栄治『GHQ』1983 岩波新書 p.156 など> →ニュルンベルク裁判
 このいわゆる東京裁判に対しては、当初から戦勝国が一方的に敗戦国を裁くもので不当であるとか、戦前にはなかった「平和に対する罪」で裁くのは方理論上おかしい、といった批判がある。しかし、そもそも戦犯の裁判は日本が(天皇の免責と引き替えに)受け入れた「ポツダム宣言」で定められていたことであり、裁判を拒否できることではなかった。この裁判を否定することは、日本の敗北を否定する(あるいは戦争を肯定する)ことであり、もう一度戦争をやって決着を付けようという暴論になりかねない。そのような歴史の経緯を無視した議論は無意味であると思われる。
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ノートの参照
第16章1節 ア.戦後の国際政治・経済秩序