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フランスのNATO脱退

ド=ゴール大統領はアメリカのヨーロッパへの介入に反発して1966年に軍事部門から脱退。

 フランス北大西洋条約機構(NATO)結成(1948年)時の加盟国で本部もパリに置かれていたが、1958年大統領に就任したド=ゴールは、米英の核独占を批判し、対等な立場を確保しようとしてフランスの核実験を進めた。米英がそれに対して批判的な態度を取ると、ド=ゴールはNATOの運営がアメリカ主導であることに反発し、59年の地中海艦隊の撤収に始まり、次第にNATOと一線を画するようになった。

NATO軍事部門からの脱退の意図

 ついにド=ゴールは1966年5月、NATOの軍事部門からの脱退を表明し、フランス軍すべてを撤退させ、フランス領土内のNATO基地すべてを解体した。ただし、NATOの理事会、政治委員会、経済委員会、防空警戒管制システムなどには残った。ド=ゴールの意図は、NATOを政治同盟として位置づけ、共同行動については主体的に判断するという自主外交の姿勢を示すところにあった。<渡辺啓貴『フランス現代史』1998 中公新書 p.123>
 つまりド=ゴールはフランスのNATO脱退に踏み切ったが、北大西洋条約からは離脱しなかった。「政治的には同盟、軍事的には独立」という姿勢をとった、ということができる。

フランスのNATO軍事機構への復帰

 2009年3月、サルコジ大統領は、フランスを43年ぶりにNATO軍事機構に完全復帰させることを決定した。この決定にNATO各国は歓迎の意志を表明しているが、フランス国内では外交の独自性が失われるのではないか、という反対論がなお根強い。サルコジ大統領はフランスの発言権の強化を狙っているが、ド=ゴール以来のアメリカに従属することになるという懸念を持ち続けている人も多いからだ。事前の世論調査では賛成58%で反対38%を上回っており、現実にはボスニア、コソボ、アフガニスタンではフランス軍はNATOの軍事行動に参加しており、実態は余り変化はないと見られている。 → 現代のフランス