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中ソ技術協定破棄

1959年、中ソ対立の中で、ソ連が中国に派遣していた核開発をはじめとする科学技術者を引き上げる措置をとったこと。

 ソ連と中国は、1957年10月に「国防新技術についての協定」を締結した。これは秘密協定であったので、現在も正確な内容はわからないが、ソ連が中国に原爆のサンプルと製造技術を提供すると約束したようである。しかし、中ソ対立が表面化した59年になってソ連は協定の破棄を通告した。ソ連の説明は、当時ジュネーヴで核実験停止条約の協議が進んでおり、ソ連が中国の核開発を支援していることを西側に知られるとこまる」という理由であった。フルシチョフは59年、アメリカ訪問につづいて北京を訪ね、毛沢東と会談、意見を調整しようとしたが失敗した。この後、ソ連首脳の訪中は30年以上途絶えることとなる。さらにソ連は1960年6月、中国で仕事をしていた1390人の技術者を引き上げ、技術提供も停止すると通告した。これによって昭和25年の中ソ友好同盟相互援助条約以来の中ソ同盟は1960年を以て事実上崩壊し、中国は独自で核開発を初め、64年に最初の中国の核実験を成功させることとなる。<毛里和子『中国とソ連』1989 岩波新書 p.55-64>
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ノートの参照
第16章3節 ウ.動揺する中国
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毛利里子
『中国とソ連』
1989 岩波新書