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ギニアビサウ

西アフリカ海岸のポルトガル植民地。奴隷貿易の拠点とされた。独立は遅れ、本国ポルトガルの民主化後の1974年に実現した。

 西アフリカ海岸のセネガルとギニアの間にある、旧ポルトガル植民地。16世紀以来、ポルトガルの植民地支配をうけ、その奴隷貿易の拠点の一つとされた。1951年にはポルトガルの海外州とされた。 → アフリカ分割
 1956年にアミルカル=カブラルを指導者とする独立運動が始まり、1963年には「ギネ・ビサウ・カボ=ヴェルデ独立アフリカ人民党」(PAIGC)が武力闘争に決起した。ポルトガル軍も弾圧に乗りだし、激しい独立闘争を展開した。しかし、アフリカの年と言われた1960年には独立を達成することが出来なかった。1973年にカブラルが暗殺されると独立闘争は一気に激しさを増し、ポルトガル軍は苦境に立たされた。ポルトガル軍の中にはこの戦争の正当性に疑問を感じるものが多くなり、ギニア総督兼総司令官だったスピノラ将軍も、戦争継続を命じる本国のサラザール独裁政府に対し次第に不審をもつようになった。

ポルトガルからの独立

 1974年に本国でクーデタを起こし、独裁体制が倒したのが、植民地戦争に批判的であった軍人であり、その指導者となったのがスピノラ将軍だった。このポルトガル革命で国内の民主化と共に植民地の独立を認める動きが一気に高まり、ギニアビサウは同年9月10日に独立が認められた。しかし、ギニアビサウと関係の深かったカーボ=ヴェルデ(大西洋上、ギニアの西方海上にあるヴェルデ諸島)は、住民の投票で決することとなり、独立は75年7月まで遅れた。
 他に同じポルトガル領であったアンゴラモザンビークなども相次いで独立を達成した。 → ポルトガル領植民地の独立
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ノートの参照
第17章1節 ア.米・ソ軍縮と緊張緩和