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グラスノスチ

1985年に始まった、ソ連のゴルバチョフ政権による改革の柱とされた、「情報公開」のこと。

 グラスノスチとはロシア語で「情報公開」の意味。ソ連のゴルバチョフ政権ペレストロイカ(改革)の重要な柱として掲げた方針であった。
 ブレジネフ時代には共産党の統制下にあったマス=メディアに報道の自由を与え、またそれまで機密事項とされていた国家情報も軍事関係を含め公開するという原則をうちだしたものであった。特にテレビが新しいメディアとして登場し、ロシア共産党の公式見解だけでなく、様々な問題について報道するようになり、国民の「知る権利」に答えるようになった。
 特に1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故では、その情報がゴルバチョフのもとにもすぐには届かず、国民に知らされることもなかったため被害が拡大し、情報公開の必要性が痛感された。また「歴史の見直し」が進められ、スターリン体制下での粛清の犠牲者やブレジネフ時代に反党活動で処刑やシベリア流刑になった人々の記録の掘り起こされ、多くの名誉回復が行われた。

ソ連解体の引き金になる

 またグラスノスチは、歴史の見直しを促すこととなった。特に、ながくソ連当局が否定していた1939年の独ソ不可侵条約に付属する秘密議定書の存在が明らかになり、バルト三国では急激にソ連からの分離独立を要求する声が高まり、1990~91年にリトアニア、ラトビア、エストニアのバルト三国が独立を宣言、危機感を持ったソ連共産党の保守派クーデターが起こされたが失敗に終わり、一気にソ連の解体にまで突き進むこととなる。
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