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エリツィン

1990年代のソ連解体後の政局を主導した政治家。ロシア連邦初代大統領となり、社会主義から資本主義への転換をはかった。

エリツィン
Boris Nikolaevich El'tsin
1931-2007
 初代のロシア連邦大統領(在任1991~1999)。ソ連時代からの共産党員であったが1961年の入党で、スターリン時代を知らない世代に属していた。アンドロポフ期に頭角を現し、ゴルバチョフ政権のペレストロイカ期にはモスクワ市第一書記となって改革派の最も急進的であり、87年には改革が緩慢すぎるとゴルバチョフを批判して解任された。  ペレストロイカが進展し、連邦を構成する共和国の分離が問題となってり、保守派が巻き返しを図ると、90年6月にソ連共産党を離党し、翌91年6月、ロシア共和国の直接選挙でその大統領に選出された。こうしてソ連邦大統領ゴルバチョフと張り合う形となった。1991年8月、共産党保守派のクーデターが起きるとモスクワ市民の先頭に立ってそれを押さえて失敗に終わらせ、それを機にゴルバチョフに迫ってソ連共産党を解党させ、さらに12月、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの三国で独立国家共同体(CIS)を創設、ソ連の解体を実現させた。

急激な資本主義化を主導

 ロシア共和国はロシア連邦と改称し、エリツィンは初代大統領として資本主義化を強行した。エリツィン政権は副首相にガイダルなど若手改革派を登用して、国家万能の社会主義から一転してあらゆる規制を排除した自由主義モデルを採用、1992年1月から価格自由化という「ショック療法」に踏み切った。同時に金融財政改革をすすめ、国営産業の民営化が急速に実施された。その結果、92年だけで2600%というインフレが進行し、国民生活を圧迫した。また民営化は旧党官僚が甘い汁を吸う面もあって、エリツィン改革に対する反発も強まった。
 エリツィン大統領は、1993年には最高会議ビルに立てこもる保守派勢力を武力を行使して排除するなどの強硬手段を執り、さらに1994年にはチェチェン紛争がおこり、それを武力弾圧したエリツィン政権には国際的批判も強まった。1996年の大統領選挙では第1回投票ではエリツィンは過半数がとれず、ようやく決選投票で54%で再任された。エリツィン選挙を支えたのは、民営化によって生まれた富裕層、特に金融エリートと言われる銀行家たちであったと言われている。その後もエリツィンの強引な手法は独裁的と批判を浴びることもあり、民族紛争などの火種も絶えず、国内外の不満や反対が続いたが、エリツィンは首相や政府幹部を交代させるなどの巧みな方法で乗り切った。たびたび建康不安に陥り、1999年末に引退しプーチンを後継者として指名、2000年3月にプーチン大統領が誕生した。
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