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ジフコフ

ブルガリア共産党の指導者。1951年から第一書記として権力を握り、1989年の民主化運動で退陣した。

 ブルガリア共産党の指導者。1954年から35年間にわたる長期政権の後、1989年の東欧革命の中で民主化が一気に進み退陣。ジフコフは対独パルチザン闘争以来の党員で、一貫して指導部を務めた。51年に政治局員、54年に第一書記として第一線に立つ。その後、スターリン批判に際してはフルシチョフらのソ連指導部に同調、非スターリン化を進めた。
 1964年のフルシチョフ解任で危機を迎えたが、権力維持に成功、68年のチェコ事件でもソ連とともに軍隊を送った。1971年には国家評議会議長(国家元首)を兼ね、党と国家を支配する絶対的な権力を獲得した。この間、ブルガリアの工業化を進めたが、一方ではトルコ系住民に対するブルガリア風の姓名への改称を強制するなどの人権抑圧が西側からも非難された。
 1989年、東欧革命がブルガリアにも波及し、一気に民主化が進み11月に書記長、国家評議会議長の辞任に追い込まれ、党から除名された。さらに1990年からは在任中の国家財産横領の罪で有罪となった。
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